夕焼けにゃんにゃん。明け方わんわん。

はじめまして。今回から新連載ということで文章書かせて頂くことになりましたゆーざきです。何でも良いということで、自由気ままに書いていきたいと思います。どうぞよろしくよろしくどうぞ。


さ て、今期もアニメのチェックに余念の無い僕ですが、ふと気づいたことがあります。「かのこん」と「我が家のお稲荷様」。この二つは狐が女の子になって主人 公の男の子とキャッキャウフフという話なわけですが、獣娘系が同時期に二作品放送されるというのは短いアニメ人生でそう多くないと思いました。とい うことで記念すべき初回は「獣娘」について。



この「獣娘」ですが、多くは犬系と猫系の二つに分類されます。猫耳といえばもはや萌要素の定番ですが、犬耳はそんなに多く聞きません。単純に語呂の問題で しょうか。確かに「いぬみみ」より「ねこみみ」のほうが言い易いような気もします。しかし、それだけではあまりにも根拠としては乏しいように思います。犬 派より猫 派の方が多いからでしょうか。



Results 1 - 10 of about 104,000,000 for 犬. (0.06 seconds)
Results 1 - 10 of about 226,000,000 for 猫. (0.13 seconds)



正 直僅差を期待していたのですが、実際検索では倍近く猫の方が多いようです。それでも、不意に「犬派と猫派どっちが多いと思う?」と聞かれたときに自信を 持って答えられるでしょうか。昨今ネット上では猫ブームですが、実生活においてはそんなに違いが無いようにも思います。ということは、実際に猫が好き だからというよりは猫っぽい方がかわいいから、好まれるからだと推測できます。確かに、女性と犬は相性が悪いようにも思います。Bitchだとか雌犬だとか、どちらかと言うと蔑称として使われる傾向が強いですからね。



では、猫っぽいことのかわいさとは何でしょうか。単純にニャンニャン言ってるのもそれなりにかわいいのかもしれませんが、もっと多くの要素がありそうで す。今期のアニメに注目してみると「狂乱家族日記」に凶華という猫耳娘が登場します。その行動はまさに傍若無人唯我独尊で周り(主に主人公)を困惑させま す。この習 性はマイペースな猫そのものと言っていいでしょう。自由であることは常に注意を引かせます。手のかかる方がかわいいというのはよく言われることです。加え て、二話で垣間見せた物事の本質を見抜いたような態度の表れも猫と近いものがあります。猫は多くの場所(エジプトとか)で神聖な動物として崇められていま した。日本 でも猫又など智恵のある形容がされることも珍しくありません。普段の気ままな態度からのギャップは見ているものに強い印象を与えることでしょう。また、猫 独特のしなやかな身体使いも魅力のひとつと言えます。女性のしなやかなイメージを猫のイメージは増幅させます。以上が猫っぽいことの大まかな特徴でしょう か。



しかし、ここで大きな問題が立ちはだかります。猫耳ものは数多く存在するのですが、実際に猫が擬人化してしまったという作品はそう多くありません。あの有 名な「デ・ジ・キャラット」だって帽子を被っているだけだし、「東京ミュウミュウ」も変身前はただの女の子です。純粋に猫が人間になる作品で記憶にあるの は、 D.C.ダ・カーポ)の頼子ぐらいでしょうか。これはいったいなぜでしょう。



反対に、犬耳娘は本来犬(あるいは狐や狼)であることが多いです。冒頭に書いた「かのこん」や「我が家のお稲荷様」、前期の「狼と香辛料」、少し前だと映 画にもなった「いぬかみっ!」、「Kanon」の真琴などがあります。これらは元々が妖狐や犬神など、人外であり訳あって人間態になっている場合がほとん どです(真琴は ただの狐ですが)。なぜでしょうか。
犬耳娘も猫耳のときと同様に犬っぽい特徴を有していて、基本的に従順で義理堅く、主人(公)との絆を大切にします。従順な設定は近年少ないですが、両者の関係が深いというのは共通してあります。このことから二人きりになるような設定は犬耳娘のほうが圧倒的に多いです。



この、「二人きり」というのが大きなポイントです。犬耳娘はその習性から、パートナーになりやすいのです。実際の犬の役割と当てはめて考えてみると、護衛 (元が人外なので強い)、捜索(元が人外なので勘が鋭いか賢い)、癒し(外見が女の子なのでかわいい)。これは物語的にも大きなメリットです。男の子が好 む大立ち 回りとかわいい女の子。これらなくして現在のアニメ・ラノベ・漫画市場を勝ち残っていくのは苦しいでしょう。



では、多くの作品にも見られるこの「戦いと女の子」だけが犬耳娘の醍醐味かと言えばそうではありません。先ほど、「二人きり」がポイントと言いました。 パートナーになりやすい犬耳娘とは、当然寝食を共にします。犬耳娘、あるいは獣娘全般に言えることかもしれませんが、彼女たちは人間ではありません。とい うことは、 彼女たちとセックスするということは獣姦をすることになってしまいます。この異種姦通は本来道徳的に許されていません。よってそのことは二人の関係が永遠 に達成されないことを意味します。もし交わってしまったならその瞬間にストーリーは獣姦ものへと変容してしまいます。情欲に駆られて彼女を求めても、その 後に残るの は通常よりも大きな後悔です。獣姦してしまったという事実と動物に欲情してしまった自分自身に罪悪感は募るばかりです。



こうして犬耳娘とは永遠に触れることの無い漸近線的な付き合いをすることになります。しかし、二人の絆は長年連れ添った夫婦のように固く結ばれていること でしょう。それを見て視聴者や読者は微笑ましくなり、時には主人公に同一化して楽しむのです。また、猫耳娘とはかわいくも不安定な、10代 カップルのような関係を気づいていくことでしょう。ふと見せる鋭い洞察力は思春期の男の子に特有な女性に対する神聖化と畏怖に重なります。そして、付かず 離れずの猫耳娘に魅了されるのは見た目のかわいさだけではなく元が人間であるという安心感です。人間であるかどうかわからない場合はありますが、実 際に人外へと変身する描写が少ないのも、それを目の当たりにしてしまったとき彼女と関係を築く根拠が乏しくなってしまうからでしょう。そこまでして自由気 ままな彼女と付き合う理由は何なのか。それが腑に落ちない限り物語を深めていくのは難しくなります。このあたりも若いカップル特有の状況に似ている気がし ます。



そして、犬耳娘よりも猫耳娘のほうが多いのは元々犬であるという設定に限界があるためだと思われます。妖狐や精霊などの大仕掛けを物語に投入してしまう と、それ以外の部分に多くの制約を強いることになります。一方猫耳はひとつの部分なので簡単に組み込むことができます。犬耳を部分として取り込むとそこに は単純な従 属関係や親密関係が生まれて二人の関係が薄っぺらくなってしまいます。よって、結果的に猫耳娘のほうが数的に多くなっていったと考えられます。



こ のように猫耳娘と犬耳娘との関係は変わってくるのですが、所詮フィクションの話。同人誌だったらホロとロレンスはセックスしてるでしょうし、啓太といぬか み達は乱交パーティーしてるかもしれません。視聴者や読者はそこまで獣姦などについて深く考えていないのかもしれません。それでも、原作においては 前述した要素が含まれているようにも思います。



ここらへんが落としどころでしょうか。意見などあればお申し付けください。誹謗中傷は傷つくのでご勘弁を。


来週は僕じゃない誰かが担当します。絶大なる期待を!!



ゆーざき