14通目 ゆーざき怒られる の巻き

皆さんは親や先生などの上下関係でない女性から怒られたという経験はお持ちでしょうか。というのも、僕自身初めてに近い体験として同年代の女性から怒られたというか、文句言われまして、今回はその消化作業として色々考えていきたいと思います。たまには自分について書いても許されるでしょう。

さて、何で怒られたのかというのも一応説明させてもらいます。基本的には僕のスタイル批判だったわけで、このスタイルというのはもちろん体形のことではなく、常に逃げ道作って高みの見物、物見遊山で上から目線でものを言うから癪に障ると。もっと筋通して地上に降りてぶつかって来いって事なんだと理解しているんですが、その真意は分かりません。僕はといえば終始一貫して彼女のあまりの唐突な叱責に驚きっぱなしで「はぁ…」としか言いようがなく、もちろん指摘自体は的確で多少自覚している部分はあるのですが、いかんせんこの術しか知らない身としては今更処世術批判をされても困ってしまうという塩梅だったわけです。こういう風に書くからまた批判されてしまうのでしょうが、そこはもう泥試合になるので触れないでおきます。

かなり抽象的で具体性のない文章、かつ簡略化しすぎて矛盾や分からないところが生じてしまっているのは、その場の空気をそのまま持ってこられないのと同じように、正確に伝えるのがどうしても無理だからです。ここで問題にしたいのは叱責や文句の中身ではなく、その対立構造なのです。明らかにその場は彼女がイニシアチブを握っていましたし、酒や深夜特有のノリも手伝って彼女のテンションは上がる一方で、完全なる素面だった僕はいつもの饒舌を発揮することも出来ずにうつむいてしまうという普段出会わない環境に身を置くこととなりました。そして、この男女の対立構造は現代における男女関係のあり方としてひとつの典型を示していたのではないかと今となっては思うのです。

「婚活時代」に“流される勇気”という言葉が出ていたのを思い出すと、あの場で僕は確実に流されまいと踏み止まっていましたし、女性からの攻勢に敗北することすらせずに受け流していたわけです。そして前掲書の結論が“女性よ、狩りに出ろ”であったのと同様に女性側から働きかけがあったわけで、僕はただただ皿の上の獲物としてじっとしていたと言ってよいでしょう。もし女性が狩りに出ることで婚活問題が解決されるのならば何の苦労もないのです。それよりももっと致命的に絶望的に早急に解決すべきなのは男性側の意識にあるわけです。男性が皿の上に乗ったとして、女性が箸でつかもうとしてもつるんと滑って食べられない。かつて秋山成勲が桜庭戦でクリームを塗ってペナルティ食らったように、しっかりと組み合わないのは格闘技においては反則なんですが、対人関係、殊恋愛関係においては反則がない。そうして身に付けた処世術はなかなかに強靭で、もはや自身の力では解除できないほどになってしまっているように思います。今回僕が組み合い方が分からずに狼狽してしまったのは、そうした体質としてのつるつる作戦が災いしていたからではないかと思います。

そして、うまくつかめない料理を必死になって食べようとしている姿は傍から見れば滑稽ですが、その光景を女性自身が自覚してしまったときに、どんなにその料理がおいしそうだったとしても「もういいや」と愛想を尽かしてしまうことでしょう。食えない高級料理よりも食えるファーストフードに腹空かした人が行くのは当然のことだと言えます。一生女性が必死になって自分を食べようと努力してくれるのならば、男性側は優位に立って「食べられるなら食べてみろ」とか言いながら必死な女性を見て楽しめば良いのかもしれません。しかし批判を恐れずに言うと、女性のというのはかなりの現実主義者なのでそんな食べられない料理に労力を尽くすのが無駄だとすぐに気付くわけです。そして隣にあった吉野家的男性に立ち寄るのです。パリス・ヒルトン吉野家で並を食べていたらかなりびっくりしますが、構造的にはありえると言えます。しかし、「武士は食わねど高楊枝」という言葉が指すように、武士でないはずの現代男性でもプライドが邪魔して、「プラダが着られないなら、ファッションセンターしまむら行くより裸でいいわい!」という具合に覚悟というかやせ我慢してしまうのです。

問題は裸では生活に支障が出てしまうということなのです。裸というのが単なる例えだったとしても、実際に結婚できてない成人男子がどれほど苦痛を感じているかといったら想像に難くありません。しかし、前述したようにつるつる作戦を長年取ってきた身体はもはや取り返しの付かないこととなっているのです。付き合うことの出来ない男性が本来取るべき行動は、あらゆる所に引っかかるように自身の摩擦係数を上げていくか、女性に対して反発していくかのどちらかであるはずです。前者であればどこかに引っかかることで抜け出せますし、後者であってもそれを受け入れてくれる存在に出会ったときに救われます。ここでは出会いの無かった時のことは考慮に入れません。出会いの絶対数が少なければ必然的に成功確率が下がるのは火を見るよりも明らかだからです。

しかし僕含む現代男性の特徴であるつるつる体質を食せるほどの手練の女性はそういません。そして残念ながらそういった女性たちは、もっと高級な五つ星レストランへと足を運ぶのです。食いにくいだけで味は普通の料理なんて誰が好んで食べるでしょうか。真に競うべきは食べにくさではなく味であり、食べやすさに特化したファーストフードがチープの代名詞であるのと同じように、ただ単に食べやすさだけを競っていてもいけない。客不在の消耗戦は業界全体の衰退を招くのです。

こうしてみると、異性の目線を無視した自分磨き(文字通りつるつるになる)は女性のそれと同じように見えますが、実はそうでもないのです。仮に東京ガールズコレクションが男性不在の場であったとしても、そこにモテの匂いは漂っている。参加している彼女たちも会場の一歩外を出れば普通にネタ的な意味でないモテ技を駆使するだろうし、自己防衛から発展した男性の女性排除とはもともとの経路が違っています。ベタでモテを行使できる彼女たちとネタでさえもモテを行使するのが困難な男性たちが相容れないのは自明なように思われます。しかし、だからこそ箸でなくフォークや手づかみで食べに来るような彼女たちこそが真の救世主となりえる場合もあるかもしれません。

恋愛に限定してしまうと、叱ってくれた彼女の意に反することとなるかもしれませんが、今回の男女対立はそうした現代における男女関係の象徴的な空間であったように思います。そして、まだ食べられるから良いものの料理というのは腐ってきます。このまま食べられずに腐っていき、最終的に食べてくれるのが犬猫しか居なくなったということになったら、それは単なる笑い話にしてはブラック過ぎるように思います。婚活を諦めた男女の行き着く先がペットなのもそういった理由からなのでしょうか。いずれにしても、そろそろ自分も食われる覚悟をしなくてはいけないのかなと思わせられる出来事ではありました。


ゆーざき