診断狂時代


症候会議が刻々と変わる時代の風向きを見失わないよう、委員長である僕イマダは今、率先してTwitterなるものに手を出している。
で、ぶっちゃけたところTwitterおもしろいの?ということなんだけど、はっきりいってまだよーわからん。「なーにが面白いんだこれ」と首をかしげる日があれば、「なんか面白れぇじゃんこれ」と思う日もあって、まだ態度を決めかねている。「とりあえず付き合ってみよっか?」で付き合いだして、まだ本当に俺こいつ好きなんかなってのが見いだせてないって感じ?なんかテレビドラマでやってたけど、Twitterって出会い系みたいなとこなんでしょ(棒読み)。



ところで、みなさんはそんなTwitterの遊び方のひとつ、「診断メーカー」というのを知っているだろうか。数多ある診断のなかから一つ選び、その項目に自分のTwitterアカウントを入れるだけで、選んだ診断についてのあなたの診断結果が算出されるわけだ。以前流行った「脳内メーカー」を思い出してもらうとわかりやすい。あの項目がめちゃめちゃ多くなった、そういう感じ。


今、この診断メーカーがTwitterの中で流行っている。診断メーカーのトップページを見ると、今まさに下されたユーザーの診断結果がアップされていっている。その更新速度から、その流行りっぷりがすごいことはわかるだろう。この診断メーカーが爆発的に流行った理由のひとつはおそらく、ユーザー側が各種の診断を自ら作成でき、かつそれをすぐに診断メーカー上でリリースできる、というところにあるんじゃないだろうか。とにかく、そういうものがあるわけ。



Twitterがおもしろいかどうかまだ保留しておきたい旨を先に書いたが、この診断メーカーについてははっきり言おう。
僕はまったくこの面白さがわからないのだ。


脳内メーカーが流行ったとき、確かに最初は目新しかった。正直言おう。自分の名前をはじめいろんな知人の名前を勝手に入力して僕も楽しんだ。けれど、さすがに段々飽きてくる。そして当たり前だが、別にそれは本当の脳内でないんだ、というはなっから知れてる当たり前の事実が、飽きれば飽きるほどボディブローのように、まさに「脳内」に響き渡り、終いにはあまりにも不毛な遊びに思えてくる。

この診断メーカーも当初、ユーザーの作ったあまりにも突拍子もない診断とその診断結果で、面白いのかもと一瞬思ったが、どうも診断制作者がみな悪ノリをしはじめ、診断メーカーの算出する診断結果が全体的に「突拍子もなさ」のインフレーションを起こしてしまった(もちろん多くのユーザーの注目を集めるために突拍子もない診断になってしまうという側面もあるが)。突拍子もない診断と診断結果だらけだから、今更だれかのアカウントで出た突拍子もない診断を目にしても、面白くもなんともないのだ。


しかも、あまたのゲームが実際にプレイしている人以外の傍観者はいたってその結果に無関心であるように、この診断系ゲームもご多分に漏れず、他人にとってその診断結果はきわめて「どーでもいい」ものなのだ。なにせ、そもそもよくわかんないアルゴリズムで偶発的にでた結果なわけだから、診断を下された本人にとっても「どーでもいい」診断であり、本人ですらない他人はさらに「どーでもいい」から、二重に「どーでもいい」に決まってる。


しかし、それでも以前、診断メーカーの診断は増設され続け、また診断される側もひたすら診断され続けている。そんな最中、今日のお昼にあるCMを目撃して僕は鼻毛が伸びそうになった。ケータイゲームでお馴染みのGREEで行われている、裏血液型占いというものだ。



「表」とはたぶん本物の血液型をさすのだろうけれど、裏というのはいったいなんなんだ。
血液型って、何かね。
そもそも血液型占い自体の信憑性もかなり怪しくなっている昨今、それに輪をかけて裏とは。ベッキーはちょっと納得しちゃってるけども。



そう、世は今や「診断狂時代」に突入しつつあるわけだ。猫も杓子も診断されたがっている。


この「診断狂時代」の到来はなぜだろうと、考えてみる。
思うに人間には生来、「被言及欲求」みたいなもんがある。「あなたって○○だよね?」と、みな言われたがっているわけだ。そりゃ「お前早漏だよな?」って肩叩かれながら言われた日には、てめ見たことねーだろとムカつくことはムカつくだろうが、そういった言及でも全くないよりはまし。あなたへの言及がなされた、という事実は間違いないのだから。


だがこの被言及欲求、「あなたって○○だよね?」と言われたい願望は、今やなかなか満たされない状況になりつつある。いや、人間が自ら満たされない状況を作り上げている。

例えば今、ある会社で上司のおっちゃんがある日気づき、「○○ちゃんって結構巨乳だよねー!?」と当の○○ちゃん本人に言及すれば、即でアウトだ。いろんな意味で。「高梨くんって童貞でしょ?」なんてのも言えない(言う人はいるけど基本的に言うのは憚れることになっている)。どうもこういうセクシャルな言及を他人に対してすることをセクハラというらしいのだけれど、セクハラだけではない。今や世の中は他人に「キミって○○だよね?」と言い難い状況になっている。
そうやって被言及をなるべくされない状況が生まれる背景にはセクハラ、パワハラをふくむムカつく言及をスクリーニングするという目的があったんだけれど、それと引き替えに別にムカつかない言及、むしろしてほしいかもな言及をもしてもらいづらい状況と化してる。


そんな状況下で流行ったのが、診断メーカーをはじめとするこういった自分について勝手に言及してくれる診断系ゲームなんだと思うのだ。


だが僕は、そういう診断系ゲームに興じて自分の被言及欲求を満たす人を、さもしいだとか、バカにしたり、罵ったりしたいわけではない(僕自身はその面白さに共感できないけれど)。こうした「誰かに自分を語ってもらいたい!」という欲求は、だれでも少しはあるし、あって当然のものなのだ。だから僕が今から語るのは、Twitterを開けば毎回毎回、診断メーカーに手をしちゃうという人に向けての、「前向きな提案」だ。おそらくその提案を知った後では、診断メーカーを前にキーボードを指でカタカタ叩いてるときに使う0.数カロリーすら無駄だったと、思うかもしれない。



この被言及欲求というものの根源には、おそらく「自分」という問題がある。

さて、あなたは自分について、どれくらい知ってるだろうか。今日の朝なに食べただとか、風呂に入るときはどこからあらうとかそーいうレベルの話じゃない。いったい自分はどんなやつで、どういう風に周りから思われてるか。主観としての自分は、客観としての自分を、同じ自分であるのに絶対的に知り得ない。そのことは、主体にたまらない不安をもたらす。このことを精神分析的には、根源的疎外と呼ぶ。

まあ難しい話は置いといて、要は自分は自分を愛したいけれど、その客観的な評価と一致するかは定かじゃない。ひょっとしたらキリストにダブルスコアで勝っちゃうくらいの聖人かもしれないし、ひょっとしたらそこら辺に落ちてるゴミくずと同じかも知れない(多くの人はどっちでもない中間のどちらかよりだろうけれど)。「自分」が聖人かゴミ同然かを最初に「診断」をするのはたぶん「自分」なのだけれど、そうなるとなんとか「ゴミ以上」の落としどころを見つけようとしたくなる。それがいわゆる希望的観測だけれど、そんなふうに「自分」が「自分」を言及し評価するのは苦痛をともなう困難な作業なのだ。


だからこそ、ここで外部からの言及の必要性が生まれてくる。「今の自分」が本当に価値あるのかどうか。そして、ゴミだとしたら「自分」はどうかわるべきか。そのファイナルアンサーを下してくれるのは、実は外部からの「キミって○○だよね?」という言及だったりする。



ところで、診断メーカーの下す診断は、ユーザーに対する好意的言及なのだろうか、それとも批判的言及なのだろうか。端的にいうと、どちらでもない。そもそも、先にも書いたとおり基本的にあの「診断」は支離滅裂で突拍子もないものだから参考になる確率は低い。ま、むりやり振り分けるとすれば、現状維持みたいなもんだから好意的よりだといえる。突拍子もないことを自分について言ってくれる。でも表層的であまり傷つかない。だからこそ、診断メーカーという言及装置が流行ってるのかもしれない。


でも繰り返すとおり、被言及欲求の裏には、「自分」にとっての存在論的不安があるわけで、僕らはそれを癒すためには肯定否定を問わず、明確でかつ自分の芯をズギュンと打ち抜いてくれる「診断」がほしいわけだ。



では、いったい「自分」にその真の「診断」を下してくれるのだれか。やはりそれは人なのだ。もちろんそれはその辺を歩いてるオッサンではない。もっと身近な、そして自分を真剣に見てくれている人でないといけない。友達でもいいのか。いやしかし、先に書いたようなこのごろは言及抑圧あるため、友達ですら「お前って○○だよな」的な言及はしづらくなっていると思う(あ、ちなみに親っていうのはバレンタインチョコと同じでここではノーカンとします)。
そうなると…
ここで、ある属性の人にとってはなんとも救いようのない、地獄の底にたたき落とすような結論を言わなくてはいけなくなってしまった。端的に言って、あなたにとって最強の診断メーカーとは恋人なのだ。「自分」に対して一番痛烈で、一番当たっている言及をしてくれるのは、パートナーに決まっているのだ。


「背が小さい」「足が短い」「顔がデカい」「はやく仕事しろ」「話がクドい」「文章がつまらない」……等々。
恋人や配偶者というのは、そういった極めて正確で、極めて痛烈な、それも間違いなく「あなた宛」であることが確定した「診断」を、日々発信してくれる。というのも、恋人まで近い距離にくると「彼/彼女」として相手がゴミくずのような存在だと、それは他人事ではもはやなく、自分にとっても喫緊の問題になってくるからだ。だから、恋人というのは一番親身になってあなたを「診断」し、「治癒」しようと尽力してくれるのは恋人、という結論になるわけ。
と、こんな風に「前向きな提案」はこんなよもやの方向に飛んでいってしまった。


だが、幸い僕らは今診断メーカーの話からこういう結論に行き着いたのだった。つまりTwitterの話だったじゃないか。
なんかテレビドラマでやってたけど、Twitterって出会い系みたいなとこなんでしょ(棒読み)。