福原泰平『現代思想冒険者たちSelect 鏡像段階 ラカン』


探し物はなんですか


新たなテクストに取りかからないことを理由に、久しく放置してきました。しかしながら、読書会も再開してしまったのでいい加減書かなければなりません。


年末年始ということで、私も帰省してまいりました。長期休暇ということで、この時期は「青春18きっぷ」が使えます。2100円くらいで、JRの普通列車に丸一日乗り放題というあれです。最寄りのJR駅から帰省先まで、5時間あまり普通列車を乗り継ぎます。これがいつものことながらなかなか苦痛なものです。夜だと車窓からの景色も見えませんのでさらに厳しいものがあります。長時間の移動が苦痛と言えばそうなのですが、私の場合、同じ電車に乗り続けることがつらい。乗り換えが少ない場合は、3時間ほど同じ電車なのですが、これが各駅停車なのです。停車のたびに開いたドアから冷たい空気が侵入してきますし、所々で特急列車の通過待ちがあるのですが、これもイライラします。ひどい場合は十何分も停車しますし、なによりも追い抜かれます。


さて、18きっぷの旅の楽しみを語ってしまいましたが、これを本気で楽しめる人たちがいます(私はそんなには楽しめません)。いわゆる「鉄ちゃん」、「鉄道ファンのみなさん」です。なかでも、列車に乗ることを専門にしている人は「乗り鉄」と言われます。より多くの路線を「乗り潰す」ために、厚い時刻表を片手に、乗り換えで全力ダッシュする彼らは正直ちょっと気持ち悪いです。でも彼らの行動が、欲求ではなく、それよりも高度なものとしての欲望から来ているとしたら。そして、鉄ヲタを気持ち悪がる「恋愛を語る資格もあるものたち」が、そこでしているのが欲求でしかないとしたらどうでしょう。*1


ラカンは欲求と欲望とを分節化しています。ラカンも聴講していたという、コジェーブの『ヘーゲル読解入門』を下敷きにして、東浩紀は、人間の渇望のあり方の、欲望から欲求への傾向を動物化として示しています(『動物化するポストモダン』)。東はその中で、欲求は動物でもできることであり、動物と人間とを隔てるのが欲望であるとしています。ここで、先の問いを次のようテーゼに言い換えておきましょう。


乗り鉄は欲望的だから人間であり、「恋愛を語る資格のあるもの」(以下面倒なので「恋愛動物(仮)」とします)は欲求的だから動物である。


欲望は欲求よりも人間的であるとしても、ここで考えなければならないのは、欲求と欲望の差異はなにかということです。東はその差異を、他者の存在の有無だとしていますが、だとしたらさっそく先のテーゼは誤りであるような気がします。乗り鉄は他者がいなくてもできますが、恋愛は他者がいなければできないではないか。でも本当にそうでしょうか。ここで、恋愛動物(仮)の恋愛に他者がいないことを示したいところですが、それはとっておくとして、乗り鉄がいかに欲望的なのか、もっといえば人間的なのかを考えてみましょう。


ラカンは欲望の究極の対象を対象aとして定義しました。そして、対象aを欲望の対象=原因であるとしています。
欲望の対象=原因とはどういうことでしょうか。私たちはふつうそうは考えません。たとえばラーメンについて考えてみましょう。普段私たちは、お腹が空いたからラーメンを食べると考えます。ここでは欲望の対象と原因は一致していません。ここにあるのは欠如とその満足という一回的な関係であり、これが欲求だと考えられます。
ですが、ラーメンはそれだけでしょうか。たとえば、「ラーメン二郎」ならどうでしょう。二郎はある意味トラウマ的な経験です。あの強烈な味と量の多さは、私たちの日常的な現実の範疇を超え出るような、まさに、現実界との遭遇ではないでしょうか。食べ終えて店から出た直後は、二度とこんなもの食べるものかと思いますが、不思議なことにしばらくするとまた行きたくなります。ここにおいては欲望の対象と原因が一致しています。「ジロリアン」(ラーメン二郎依存症の人をこう呼ぶことがあるようです)は二郎に行きたいからこそ二郎に行くのです。ここにあるのは一回的なものではなく反復的な関係であり、これこそが欲望です。*2


なぜかラーメンを例に出してしまったのですが、これは私たちと鉄道との関係性についてもいえます。
ふつう私たちはどこかへ行きたいからこそ鉄道を利用します。私にとっていきたいそこが欠如しているからこそ、それを欲求するのです。
乗り鉄はどうでしょうか。ここで、彼らはすべての路線を乗り潰すことが今の自分にとって欠如しているからこそ、それを欲求するのであり、それは欲望ではないという反論が出そうです。たしかに一見そんなような気もします。しかしながら、ここで私たちが思い出さなければならないのは、関口宏の息子さんのことです。*3ここから私たちが学ぶべきは、乗り潰しなんて不可能だということです。*4では、乗り鉄の欲望のあり方について、やや具体的に考えてみましょう。鉄道には必ず終点があります。彼らはいちおうそこへ向かって乗るわけです。始発駅を出たあたりは早く終点に着かないかなとわくわくしています。ですが、三分の二くらい来たあたりで今度は不安になってきます。なぜなら、もうすぐで電車を降りなければならないからです。だからこそ彼らはまた電車に乗るのです。そしてまた不安になっては電車に乗るのです。ここにおいては欲望の対象と原因が一致しています。


とりあえず、乗り鉄は欲望的、あるいは人間的であることはわかりましたが、恋愛動物(仮)が欲求的、あるいは動物的なのはなぜでしょうか。ここで気をつけなければならないのは、すべての恋愛が欲求的で動物的なのではないということです。先に言ったように、他者にたいして恋愛を語る資格などないと言っているようなやつは動物だと言っているのです。
さきほどと同様に、恋愛の場面においての欲求と欲望を分節化してみましょう。まず欲求的恋愛ですが、それは恋に恋している恋愛だといえるでしょう。彼氏/彼女がいないから(欠如)、私にもそれが欲しい(満足)ということです。それに対して、欲望的恋愛は、あなたが好きだからあなたが好きだ(対象=原因)といえるでしょう。二郎と同様にそれはトラウマ的な経験です。トラウマとは決して語りうることができない経験のことです。ですが私たちはそれを理解し、語りうるものにすることを何度も試みては失敗します。精神分析においてはその失敗の反復の軌跡こそが、その人であり、その反復こそが主体、あるいは人間なのです。女性はよく彼氏に、「私のどこが好きなの?」と聞くそうですが、もしそれが本当の恋愛ならば、決定的な答えなんて見つけられるはずないのです。彼氏がその問いに、「かわいいところ」なんて答えたとしても、言った本人も彼女もなぜかそれだけではしっくりこないはずです。まさにそのしっくりこなさ、そしてまた繰り返し聞くという失敗の反復こそが恋愛なのです。
だからこそ、恋愛には理解し、語り尽くすことができないものとしての他者がいるはずだし、「恋愛を語る資格のあるもの」なんて動物なのです。もし、「あんな人に恋愛を語って欲しくない」から「あんな人」がとれたら、つまり、すべての人が恋愛を語る資格がないとしたらそれは正しかったかもしれません。私も今書いていてなんだか、自分の言ったことが間違っているような気がしてきました。


さて、やっとここで先のテーゼを確定できるような気がします。


乗り鉄は欲望的であり、「恋愛を語る資格のあるもの」は欲求的である。また、欲望は人間的であり、渇望する行為主体の中で人間でないものは動物である。だから、乗り鉄は人間であり、「恋愛を語る資格のあるもの」は動物である(恋愛動物)。


湯川


P.S.


ここまできて、なぜそもそも、乗り鉄と恋愛動物も並べたかということですが、よく考えてみるとおかしなことが起こっています。私は東の動物化の議論を前提にして考え始めたのですが、結果的にはその前提をひっくり返しました。東が動物化という兆候を読み取ったのはまさにオタクにおいてだったからです。しかしながら、実はこれは東自身の道のりでもあるわけです。彼は『動物化するポストモダン』の続編である、『ゲーム的リアリズムの誕生』において、動物的な様態を見せるオタクが実はその奥で人間的、あるいは実存的な問題に向き合っているかを示そうとしています。欲望が欲求と異なるのは、一過性のものではなく弁証法的であるということならば、これこそまさに欲望的だといえるのではないでしょうか。

*1:「恋愛を語る資格もあるもの」とは、『萌える男』の本田透がいうところの「恋愛資本主義者」のようなものと考えていいでしょう。あるI君が、授業の際に恋愛について発言したところ、いかにも恋愛ブルジョワのような女性に、「あんな人に恋愛について語って欲しくない」と陰でいわれたそうです。

*2:ラーメン二郎対象aについていくつかのことを教えてくれます。二郎の店内に入って驚くのはあの独特な雰囲気です。まず食券を買ってお店の人に見せます。しばらくすると、お店の人からトッピングに関する暗号的な問いが発せられます。そのあとは、孤独な戦いです。友達と話をすることも許されません。ある意味それは自分自身との戦いです。ここで考えてみたいのはあの「ニンニク入れますか?」というあの暗号の意味です。そこにあるのはトッピングのカスタマイズという実利的なものよりも純粋に象徴的なものです。あの暗号的なやり取りを通過することによって、ただのラーメンが対象aの器へと変化するのではないでしょうか。

*3:NHKの番組で彼はまさに乗り潰しをしました。これが意外に好評で、続編が続きました。はじめは日本全国、次はヨーロッパ、そしてこの間は中国です。次はどこでしょうか。

*4:しかしながら、ここで重要なのは乗り鉄本人はおそらく乗り潰しのためにしていると思っているであろうことです。だからこそ、精神分析は他者が必要なのです。