moso magazine Issue 5――コラム3ー1

「コンテンツ」としてのプロ野球  前編


プロ野球が流行らなくなって久しいです。
特に「テレビ番組」としてのプロ野球は没落の一途を辿っている気がします。かつては毎日20パーセント台を記録していた巨人戦の視聴率は今や一ケタ台に落ち込んでいて、年間に地上波で放映される回数はあきらかに減っています。


これはなぜか?という問いが立てられたとき、返ってくる答えは予想がつきます。


まず挙げられるのは、スター選手の大リーグ流出があるでしょう。大抵有力選手は20代後半ぐらいに海の向こうに行ってしまいます(わが広島カープの黒田投手も結局向こうに盗られて行ってしまいました、ぎゃふん!)。
しかし、これは推測の域をでることはありませんが、イチローが、松坂が、松井が、まだ日本にいたとすれば日本プロ野球は昔どおりの人気を保持していただろうか、というとそれは考えにくい。また近年は楽天田中将大や今年ファイターズに入団した中田翔など、甲子園のスターが続々とプロ入りして、注目を集めています。しかし、それらもマー君個人への、中田翔個人へのという彼ら一選手に対する注目にとどまっているという印象があります。プロ野球というプロスポーツの人気の絶対量は確実に減っているのです。


次に趣味の多様化、という理由がよく挙げられます。
インターネットが爆発的に普及し、テレビは娯楽の王様ではなくなりました。それでなくとも、趣味というのもある種のゼロサムゲームです。絶対量ははじめから決まっているのですから、他の需要が増えれば野球の需要が減るのは当たり前です。そしてスポーツ観戦という分野でその野球の需要を「ぶんどって行った者」というのを見渡してみたら、大多数の人はおそらくサッカーだという答えに行き着くだろうと思います。


ではなぜ野球の人気はサッカーに取られてしまったのでしょうか。普通はこの二つのスポーツは比べることはできません。だいいちルールが違うんですから。しかし、今回はあえてその表層に出てくる出力結果だけに着目して、つまり純粋に観る者にとっての「コンテンツ」としてとらえたときのプロ野球とサッカーを比較して、なぜ野球人気が廃れたのかということを考えてみたいと思います。


まず野球とはいったいどういうスポーツなんでしょうか?
ピッチャーが投げたボールをバッターが打って、一塁に走って・・・いや、ここでいう「どういう」はそういったルールのことをさしているのではありません。僕がここで考えてみたいのは、概念としてのプロ野球、さらにいえば観戦スポーツとしての、「コンテンツ」としてのプロ野球のその観戦の快楽についてです。


それではもう一度、野球とはいったいどういうスポーツなんでしょうか。
結論から先にいいますと、野球とは「積み重ね」と「平均」を「待つ」スポーツなんです。
いったいどういうことでしょうか。


次のように想像してみて下さい。球場のスコアボードというのは、ふつうは一回から九回まで左から右へ進行していきます。それを、一回が底にくるように縦に置いたと考えてみてください。
するとそれは、自軍と相手チームが数字を交互に積み重ねていくゲームであるということになります。重要なのは、この「交互に」というルールが絶対だということです。当たり前ですが、例えば一回オモテから三回オモテまで、相手の攻撃をすっ飛ばして、自軍の攻撃だけを一気にこなすことはできません。それが意味するのは、この野球というスポーツにおいては、攻撃/守備回数が平等に与えられているということです。


その平等に与えられた攻撃/守備回数のなかで野球は、一回から九回まで自軍のスコアボードに1点、2点と積み重ねながら、それと同時に相手チームのスコアボードに着実に0を積み重ねていくゲームであることがわかります。



そして野球は公式戦を年間140試合以上します。
140試合!この試合数、他のチームスポーツには類を見ないものではないでしょうか。例えばJリーグでは、昨年のAFCチャンピオンズリーグに出場して決勝にまで進出した浦和レッズでさえも60試合、プロ野球の半分にも満たないわけです*1
それを3月の終わりから、10月まで、約半年をかけて消化されていくわけです。
この長丁場の中で争われるのは平均的にいかに失点しないか(防御率)、平均的にいかに効率よく出塁するか(打率or出塁率)です。


近年で見てみても、常に優勝争いに絡んでくるチーム、例えば阪神は磐石の中継ぎリレーを擁していますし、特に落合監督就任以後の中日ドラゴンズは、打率は悪いものの防御率は安定していて優れているのです。しかし、重要なのはより高いか、より低いかではありません。それほどの成績でなくとも、毎回いかに安定した力を発揮できるか、平均的にどうなのかです。このように野球というスポーツにおいて最も尊ばれるのは、この優れた「積み重ね」と優れた「平均」によって得られる「磐石」という名の強さです。


反対に、プロ野球では局所的に爆発的な強さを発揮するのはあまり効率的ではありません。「昨日の試合で相手を完膚なきまでに打ちのめした」といわれても、その「昨日の試合」は野球において、長いシーズンのなかの1/140の重要度でしかないのです。
一度に大量得点をねらうような重量打線が、年間140試合を通してつねに高いパフォーマンスを発揮することは、なかなか難しい。やはり求められるのは「平均的」に安定した強さなのです。


またプロ野球は、「待つ」スポーツであるということもいえます。バッターは打順を待つし、打席では投手がボールを投げてくるのを待つ。野手もボールが飛んでくるのを待つ。ひたすら待ちます。これはファンの側にも待ちながら「じっくり楽しむ」ということが要求されます。先ほども言いましたが、140試合という長丁場です。かなり待たされます。デートなら怒って帰っています。
それはつまり野球とは、劇的な瞬間を少なくとも短期的に手に入れることには不向きな観戦スポーツである、と言うことをも意味します。ですから、残念ながら毎試合で「シンジラレナ〜イ(byヒルマン監督 もうすでに死語!?)」という体験がしたい人は野球観戦には向いていないということがいえるのではないでしょうか。


ここまでコンテンツとしてのプロ野球について考えてきました。
プロ野球とは常に、手堅く、ブレの少ない、安定したパフォーマンスをするチームが最終的には優勝するのです。いたって「シンジラレル」チームに勝利の女神が微笑みものなんです。ですから、観る側もその安定したパフォーマンスが1シーズンを通して貫徹されるのをじっくり待つという、ある種の忍耐力にも似たものが要求されます。


冒頭で述べたとおり、そんなプロ野球の人気が近年急速に落ちてきているのです。その原因は何でしょうか。次回はそれについて考えていきたいと思っています。
原因とは書きましたが「すべてを暴く!」というような横暴は申しません(そんな原因―結果のシンプルな関係性が背後にあるならば、あの腰の重いプロ野球機構であったとしても、もうすでに何とかしてくれています)。
そうではなくて、その一因だろうという事象についてささやかながら、書いていくつもりです。


イマダ

*1:※ここで僕が考えているのは、実際にプレーする選手の疲労度などその他もろもろのことではなく、「コンテンツとしてのプロ野球」、つまり「観戦者にとっての」プロ野球です。観るものにとってですから、試合数については、スポーツのジャンルを問わず純粋に比較できると思います