moso magazine Issue 8――エッセイ

ならぶ



突然ですがみなさん、ならんでいますか?
現代はインターネットの時代ですが、実生活では依然一度に全員の要望をかなえることはできない、一人ずつを順番に処理しなければならないことがまだまだたくさんあります。だから、人は行列を作って、それに順番にならんで自分の番が来るまで待つわけです。
昨日も僕はコンビニで並んできました。


僕は前々からこの「行列」というものには、二種類があると思います。
それは名付けて「冷たい行列」と「熱い行列」という二つです。


「冷たい行列」というのは、例えば昨日の僕がしたコンビニでのレジの順番待ちのようなものですね。それは、「レジで会計を済ませたい」という、どちらかというと小さな目標をもった者たちの集いです。集いと書きましたがそんな大それたものではなく、そもそも並んでいる者同士は赤の他人で、連帯感が生まれることもありません。


ところが世の中には、前後の赤の他人とも、それはそれは固い絆で結ばれているといえる行列があるのです。それが「熱い行列」です。

例えばスポーツの優勝が決まる大一番やコミケなどの年に一度や二度のビッグイベントの会場前、人気のゲームソフトの発売日の店先。そこには大勢の人が並びます。中には徹夜組などと呼ばれる人たちがいて、できるだけ行列の前にならぶために前の日からスタンバイしているわけです。
冬場となるとただ立っているだけでもつらいでしょう。しかし、彼らはそれでもならび続けるわけです。冬でなくとも、何時間もならぶのは苦痛です。ディズニーランドにカップルで行くと別れてしまうというジンクスが有名ですが、それは何を隠そう人気アトラクションに乗るために長時間ならんでいる内に、だんだん苦痛になってデート自体が楽しくなくなってしまうからだそうですね。
そのように長蛇の列にならぶのは、ただそれだけで苦痛なはずなのに、それにならぶ人々はその先のターゲットへの情熱、想いでそれを成し遂げてしまう。そんな熱い想いで築かれた行列もまた熱いはず。すなわち「熱い行列」だと言えます。そして、その「熱い行列」では、前後の人が知り合いではなくても、「そこまでして待っている」という情熱があるという共通点がありますから、連帯感が生まれるのではないかと僕は思うわけです。


実は、僕自身はこの「熱い行列」が昔から苦手です。
この行列に並んでいると、恥ずかしくなってきてならべなくなってくるのです。繰り返しになりますが、代役でならんでいるのでない限り、「熱い行列」に並んでいるということは、その先にあるターゲットに何か特別な思い入れがあるわけですよね。その思い入れの部分で、その前後の赤の他人と連帯しているのだと考えると、僕は背中がかゆくなってくるんです。


一度、このことで苦い経験をしたことがあります。
僕が関東に来てからのことです。地元の友達が僕のところに遊びに来て、数日間泊まっていったんです。その彼に、帰る前の日にどうしてもその当時原宿で、期間限定で開店していた「内Pショップ」に行ってみたいとせがまれたんです。僕は最初行きたくないとごねました。だってそこに行くとなると、「熱い行列」にならばされることになるのが目に見えていますからね。
でも、根が優しい(?)僕は断り切れなくて、結局一緒に行ってあげたんです。


案の定でした。
間が悪いことにその日が件の店の閉店日で、その店先には長蛇のあの「熱い行列」。
そこに並んでいて、何が一番嫌だったかというと、「こんなヤツと同じ列に並んでいるのか」と思うようなバカなファン(店先でテンションあがりすぎてふかわりょうの「ティン!」をやり出す人)、全然番組の本質が分かっていないファン(聞きたくもなかったですけど、後ろの女の子がその番組について話していた分析が耳に入ってきて、それがあまりにも的外れだった)と長時間同じ空間にいさせられたことです。
僕も内村プロデュースは一応好きでしたから、「こんなヤツらと同じ番組を好きこのんで俺は視ていたのか」という意味でも、さらにへこみました。
その「熱い行列」に並ばされたことは僕にとっては、苦痛以外の何者でもなかったのです。


なぜ僕にとって、「熱い行列」は苦痛なのでしょう。
一見それは、知らない人たちと熱い想いを共感できるということになるのdあからいいことじゃないか、という話にもなりますが、どうしても僕はあの「熱い行列」に並ぶことが許せない。
その原因を掘り下げてよく考えていったら、僕にとってその「熱い行列」の向こう側にある目標物が「本当に好きなもの」だからなんですね。
僕は「熱い行列」ともう一つ、「本当に好きなものを人に教えること」が苦痛です。
初対面や、それに近い間柄で話題が乏しくなってくると、ついそれを相手に訊いてしまいますよね。


「本は何が好き?」「お笑いは誰が好き?」「映画は何が好き?」・・・・・


きりないですが、その「何が好き?」はついつい訊いてしまう話題ですし、訊かれてしまう話題です。
これらを訊かれることが、僕はたぶん人一倍苦手で恥ずかしいんですね。
なぜかというと、僕にとって「好きだ」っていうことはその作品、人物に全面的に心酔しているということの表明であり、変な話ですが「心も体も許した相手」なわけです。例えるならばその質問っていうのは、いきなり「性感帯はどこ?」と聞かれているようなもんなんです。そんなこと、いきなり告白できないですよね。だから、それについて訊かれるとなると、すごく恥ずかしくなってきて、いつもお茶を濁します。


一時期、「何が好き?」を訊かれたときのために、自分がそれほど好きではない、二番手や三番手の作品や人物を挙げようという対策を練っていました。
でも、相手がどのジャンルの何を訊いてくるかなんてわかりっこないですし、そこまでしないといけないぐらいに世界は生きづらいものか?と言う風に思うとバカらしくなってきて、その対策はあまり使わないようになりました。でも依然「何が好き?」を訊かれることが恥ずかしいことに変わりはありません。



さて「熱い行列」ですが、最近すごいなぁと圧倒されてしまうのは、「アイドルの握手会」における「熱い行列」です。彼らが共有し、行列のその向こうで待ちかまえている目標というのはもちろんあこがれの対象、つまりアイドルですよね。


でも、この場合そのアイドルのタイプによりますけど、その「熱い行列」の前後にいる赤の他人とは、「そのアイドルが好きだ」という想いの共通点があるのと同時に、下品な話ですが「妄想における穴兄弟」かもしれないわけじゃないですか(穴兄弟の意味についてはお父さんとお母さんに訊こう!)。AV女優さんの握手会もあるそうですが、あれなんかはその「穴兄弟の熱い行列」の最たるものですよね。そんな間柄であるにもかかわらず、それでもなお彼らはその「熱い行列」に並ぶことができるわけです。


そう考えると、やっぱり僕はアイドルヲタが作る「熱い行列」を、すごいものを見るようにしか見れなくなるわけです。


イマダ