バトンなんて回さなければよかった。 後悔8日目



自己紹介バトン


問1、起きてまずはじめにする事は?
−テレビをつける。


問2、これだけは欠かせない日常的なことは?
−お菓子を食べる。


問3、好きな食べ物3つ挙げて下さい。
じゃがりこ、お漬物、お茶漬け。


問4、嫌いな食べ物3つ。
−しいたけ、納豆、さざえ。


問5、ここ一週間で嬉しかったことは?
−バイト先のH田さんが優しかったこと。


問6、ここ一週間で悲しかったことは?
Amazonで買った舞城王太郎の本の表紙が折れ曲がっていたこと。


問7、今使ってるシャンプー とリンス は?
−ピンクのマシェーリー、コンディショナーも。


問8、あなたを動物にたとえると?
−ネズミ。


問9、一番好きな季節は?
−秋、正確には夏の終わり。


問10、リラックス 、ストレス 発散の方法は?
じゃがりこを食べる。


最後に、バトン回す人を5人。




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ソーシャルネットワーキングサービス、ブログ、あるいはmixiが流行し始めた2年ほど前から、上記のような「バトン」というコミュニケーションが盛んに行われている。今でこそあまり目にすることはなくなったが、一時期はWeb上に嫌ほどバトンが溢れていた。筆者もその波にのまれて一度だけ「自己紹介バトン」というものに答えたことがあるが、どうにもこうにも恥ずかしくて、早々に消してしまったのを覚えている。


バトンとは、設定されたテーマに基づいた質問の羅列である。答えた人は最後に、そのバトンを回す人の名前やハンドルネームを挙げて、つないでいかなければならない。


種類は、自己紹介バトン、あるなし(○×)バトン、血液型バトン、暴露バトン、音楽バトン、などと豊富で、各所のブログにも「今日は○○バトンに挑戦!」というタイトルがしばしば挙がっている。「バトンセンター(http://blog.baton-center.net/)というところでは、今でも2000種類以上のバトンが配信中だ。


さて、ではこのバトンのどこに、恥ずかしさの温床があるのかを考えると、やはりナルシシズムの問題にたどり着く。バトンは、堂々と自分語りをするためのスケープゴートなのではないだろうか。




おそらく、男性と女性でこの「バトン」に対する接し方は違う。
僕ら男性は、他人のバトンの答えを見るとき、ある種の探究心を持っている。バトンは、「この人はこういうものが好きなんだ。」「こういう過去を持ってるんだ。」という情報の集積なのである。
しかし女性は、そうした答え自体にはあまり興味がなく、むしろその、バトンに答えている人の「排他的な姿勢そのもの」に惹かれているのではないだろうか。



バトンの発展形態に、「妄想バトン」というものがある。先ほど挙げた「バトンセンター」の中でも、「嵐(ジャニーズ)5人とあなたで(!)お出かけしますバトン」なんてものがあった。自己紹介バトンなどと同様、一つの質問、シチュエーションに応じて、自分なりの妄想を著述していくのだが、この妄想語りに僕は、全く入っていけなかった。全然インタラクティブでない。


合いの手を待つことなく、「問1!、はい、次、問2!」と進んでいく妄想を、一体誰が読んで満足するのだろう?しかし、バトンが続いていくのは、それなりの読者と次なる挑戦者がいるからだ。



それとは逆に、男性の妄想といえば、2chでしばしば立つスレッド「新ジャンル」だ。「ツンデレ姉」というテーマに基づいて、大喜利のようにみんなで妄想を重ねて、「ツンデレ姉と朝食」や「ツンデレ姉と二人で親戚の家へ」というシチュエーションコントを作っていく。このみんなで作り上げていく感は、女性の妄想語りバトンにはないものである。




一昔前に、チェーンメールという現象が流行ったのを思い出してしまったが、それもこのバトンと似通ってはいないだろうか。メールをつなぐことで、「友だちが5人以上いる自分」を確認してはナルシシズムに浸る、という行為が、今度は「自分語り」というおまけまで付いたバトンというシステムに姿を変えたのである。


最近、「アメトーーク」などのバラエティを見ていても、そうした「自分語り」がネタや商品になる場合が増えてきている気がする。あるいは「妄想」も、消費の対象としてテレビ画面に躍っている。


そうして見てみると、ネットで主流だった「自分語り」がテレビの領域にも持ち込まれた気がして、ふとホリエモンの言っていた「双方向コミュニケーション」がじんわりと実現されてきたようにも思えてくる。テレビがブログ化しはじめたのかもしれない。




ここまでこんなことを書いてきたが、この後悔日誌もまさしくナルシシズムの産物である。
後悔という恥部に触れて、読んだ人は一体どんな得をするのだろう。
フロイト先生によれば、ナルシシズムに浸ってよいのは、「美女」だけなのだという。
美女でない自分はどうすれば良いのか。
後悔日誌を書くことに、後悔する日々である。
はぁ、
後悔した。



おおはし