M-1グランプリ2008はNON STYLEが獲り、クラブワールドカップはマンUが獲った


2nd GIG


もう年末の風物詩となりつつあるM-1グランプリ。本編の感想を一言いえば、全体の層としてのレベルは間違いなく、確実に上がっている。それはもう抗いようのない事実である。M-1が開催される前まで、漫才の世界ってここまでレベルは高くなかったと思う。面白いコンビは昔からいたものの、それにも当たり外れがあった。しかし今や、決勝に残った8組(+敗者復活からの1組)のレベルはほとんど遜色ないし、準決勝で敗退したコンビやそもそも出場していなかったコンビも、けして面白くないわけではない。

しかし、それと同時に弊害もある。M-1というものが徐々にポピュラリティーを獲得していったと同時に、それが権威づけられていった。それによって、「誰が面白いか?」という、どの世界でもBest1を決めるときにはなくてはならないものであるあの緊迫感、緊張感が生まれてしまったのだ。もちろん芸事の大会である以上、そこにヒエラルキーと淘汰が発生するのは当たり前の話だ。でもお笑いに限ったことを言えば、「お笑いってそんなに片肘張ってみるもんかえ?」ということも同時に言えるわけだ。「面白い=勝者」という図式の形成により、本来は誰の勝ち負けにも還元されないあの「みんな面白くてみんな楽しい」というお笑いのよいところが犠牲になっていると言えなくもない。

そして最も悲劇的なのは、M-1の頂点がお笑い界のてっぺんではない、ということだ。M-1がいくら権威的になったとしても、それがお笑い業界を制覇したことと等価にはなりえない。考えてみれば、お笑いフリークでもない普通の人が、年に漫才を視る回数が何回あるだろうか。お笑いブームと言われている昨今、M-1、R-1、キングオブコントとテレビが大々的に開催するショーレースは増えているものの、もっとも支配的でありかつ影響力があるのは、依然フリートークなのである。もっともそのことには、皆うすうす気がついている。今年のチャンピオンNON STYLEもたった今優勝したにも関わらず、番組エンディングロール中に早くもそのことでいじられていた。
毎年のように、M-1チャンピオンにはその次の年から活躍する「チャンス」が与えられる。必ずしも活躍するわけではない。日常のテレビという現場に戻れば、「M-1優勝」という輝かしい経歴は特別なものではなくなり、トーク番組でのひとつの話のネタでしかない。そこからフリートークでいかに広がりを見せることができるか。極端な話、そこに集約されるのだ。この点、「アンタッチャブル」は2004年にM-1を獲っているが、ブレイクしたのはその大会が開かれる前の2004年初頭ぐらいからである。なぜなら前年2003年度の大会において敗者復活戦から突如として決勝の三組にのし上がってきた彼らは注目され、翌年からテレビでそのトーク力が評価されていったのである。

M-1を獲ることとお笑い芸人として売れる一つの方法でしかないし、獲れなくても名が知られれば、そこから売れる可能性が生まれることだってある。もちろん、「M-1を獲れればそれでいい!」という考え方も認められてしかるべきではあるだろうが。
当たり前のことだが、ネタは前もって構成から何まで完成した形となって客前で披露される。しかしトーク番組のフリートークは違う。大まかな台本はあるだろうが、そこからどのように話が広がるかは未知数。何よりも漫才よりも偶発性が高すぎる。たとえ前もって話を用意していたとしても、それでもどのような場面で話すか、どのような流れでその話につなげるか、そしてその場面で最も受けるオチへの持っていくのか、そしてさらには、話す相手は誰なのか(上沼恵美子に話すのと、まだデビューして間もないバラドルに話を披露するのではわけが違う)。それら不確定要素がありすぎるため、必然的にアドリブの度合いの方が高くなってくるのである。
そしてフリートークではまた、漫才とは違った魅力を発揮しなければ生き残ってはいけない。外見から趣味、女のタイプまで、何から何まで話のネタになるがそれは裏を返せば、何から何まで、自分の実生活の全てに話の種としての潜在性を住まわせておかなければ行けないということでもある。このようにフリートークには、漫才とはまた違った難しさがあるといえる。3分や4分間という限定された空間で評価される漫才とは、勝手からして違うのである。


そんな中、M-1が開催されていた同じ時刻に、横浜国際競技場で開催されたFIFAクラブワールドカップジャパン2008の決勝戦を、明石家さんま土田晃之が中継のゲストとして観戦していたのは象徴的である。明石家さんまはもはやいわずもがなだが、近年のトーク番組での土田の台頭はめざましいところがある。もはや有名なことだが、彼はもともとピン芸人トークを売りにしていたのではなく、U-Tuneというコンビを結成していたのである。そんな彼が、コンビとしては芽が出なかったものの、今やこうしてフリートークひとつでのし上がっているのである。そして何よりも、当のM-1を最初に立ち上げた主催者である島田紳助でさえも、未だ第一線で活躍する同年代のさんまはもちろんのこと、土田のこともフリートークの腕が達つ芸人として高く評価しているのである。
もちろんさんまも土田も、お笑い芸人であるからしM-1の結果には興味があるだろうし、出場コンビが現場で繰り広げていたネタを後になってからは視ることもあるだろう。それにしても、彼らがリアルタイムではそれに目もくれず、他の番組で仕事――しかもスポーツ番組という笑いを求められない、M-1と比べれば格段に緩い空間における仕事――をしていたということは、余りあるほど象徴的なのである。


あの時間の10チャンと4チャンの間には、六本木と横浜という距離以上に、お笑いとスポーツというジャンルの隔たり以上に、お笑いというジャンル内部におけるイデオロギーの激烈な相違が感じられたのは僕だけだろうか。M-1という、頭の狂いそうなまでに笑いについて考え尽くして、極限まで突き詰めていった先にあるネタと、それによって得られる栄光ですべてが終わるわけではない。なにせ、M-1に勝っても「その次」がいくらでもあるのだから。そして「その次」の一つとして目されるのが、さんまや土田が座っていた席なのである。

明石家さんまは、一見裏表のないように装っているが二つの顔をもつ。ひとつは「お笑い怪獣」という彼本来の、どん欲に笑いを追い求めるあの顔。もう一つは、お笑い芸人やそれに近いタレント以外とからむ時に見せる。そんな時の彼は、若干相手の立場を立てて、相手の拙いトークからも何とか笑いを生み出そうとしているようで、親切にさえ見える。そんなときは彼が、言ってしまえば若干ではあるがギアを落としているように見えるのだ。少なくとも僕には。

元来お笑い芸人には、場を彩るためのお飾りという意味の「色もの」という侮蔑的な別称が存在した。M-1という権威によって、お笑い芸人が「かっこいいやつら」となった今でも、明石家さんまのもう一つの顔を見せるときのそれは、もともとのお笑い芸人が担っていた場のお飾りとしての芸人の姿。その場の主役を引き立てる役に徹しているように見えるのである。


テレビでは日テレの羽鳥アナに「じゃぱにーずふぇいますこめでぃあん!」と紹介され満面の笑みを浮かべたさんまが、優勝したマンチェスターユナイテッドの若干23歳――一回り以上若い!――の選手、クリスティアーノ・ロナウドに肩をポンポンと叩かれていた。


イマダ