ゴーオンジャーになればよかった。 後悔4日目



エンジン全開ゴーオンジャー
1、2、3、4、ゴーオンジャー
スリー、ツー、ワン、レッツ、ゴーオンジャー
ゴーオン!




ゴールデンウィーク真っ只中の5月4日(日)、ふらりと京都駅に来たは良いが、行く場所がなく困っていると、あるポスターが目に入る。炎神戦隊ゴーオンジャーショー!東映太秦映画村!」これはと思い、GWを謳歌するおばちゃん集団にまみれながら嵐山行きのバスに乗り込んだ。


渋滞で遅々として進まないバスと、30度近い気温に苛立ちながらも正午頃に映画村へと到着する。ワーキャーわめく子供たちと、ワーキャーわめくご年配方の間を縫って2200円のチケットを購入し、ゲートイン。インフォメーションセンターで確認したところ、どうやらゴーオンジャーショーは13:00から始まるらしい。既に時計は12:45を指していたので、急いで3Fのホールへ向かう。


会場に着くと、並べられたなけなしの椅子は既に親子でいっぱいだ。親子四人で四席占領している家族にお前ら子供は膝に乗せて二席に収まれよと言いたい衝動を何とか抑えつつ、ホール左後ろのポジションを確保した。暑い中歩かされたからか、既に子供たちのテンションは下降の一途だ。


肩車をした父息子が乱立する姿はまさにトーテムポールの集積。周囲からの威圧がすごい。罪悪感に襲われつつも負けしと必死に耐えていると、やっとのことでショー開始を告げるブザーが鳴った。




炎神戦隊ゴーオンジャー」とは、テレビ朝日系で日曜朝に放送中のいわゆる「スーパー戦隊シリーズ」最新作だ。主題歌がオリコントップテン入りを果たすなどの話題性もあって(前回の獣拳戦隊ゲキレンジャーがこけすぎたというのも一つの要因だが)、今作の人気は高い。


カクレンジャーが忍者、デカレンジャーが刑事、だったように、今回のゴーオンジャーは車がメインモチーフになっている。人間世界を脅かす野蛮な機械生命体ガイアークに立ち向かうべく、炎神という車の精霊みたいなものと変身合体して戦う5人組が、ゴーオンジャーなのだ!*1



久しく「スーパーヒーローショー」などというものは見ていなかったので、この数年のうちにいくらか内容は変わっているだろう、と期待半分で舞台を見つめる。ピンク色のジャンパーを羽織った声の甲高いお姉さんが、舞台に姿を現した。


お姉さん:「さぁー、みんなー、今日はゴーオンジャーショーに来てくれてありがとう!」
みんな :「わーわー!」
お姉さん:「みんなー、ゴーオンジャーのこと、好きかなー?」
みんな :「すきー!」
お姉さん:「大好きかなー?」
みんな :「だいすきー!」
お姉さん:「よーしじゃあ、みんなでゴーオンジャーを呼んでみ…、きゃーっ!」


後ろのスクリーンに映し出される悪役ガイアーク。


害 悪 :「げっへっへ、この京都には幻の宝玉があるという噂だ。それを手に入れて…(後略)」
レッド :「そうはいかないぞー!」
隊員全員:「とうっ!」
レッド :「マッハ全開!ゴーオンレッド!」
ブルー :「ズバリ正解!ゴーオンブルー!」
以下略
隊員全員:「炎神戦隊、ゴーオンジャー!」


中略*2


害 悪 :「この宝玉で、平将門の霊を、呼び覚ましてくれようぞ! ふははははは!」
イエロー:「なんですってー!」
平将門 :「今、○○年の眠りを経て、目覚めたーりー!(以下略)」


甦った平将門は、刀をブンブン振り回しながらゴーオンジャーをなぎ倒す。死ぬほど強い。


レッド :「ダメだ、このままでは、やられてしまう…。」
お姉さん:「みんな!ゴーオンジャーを応援しよう! いくよ! せーのっ!」
みんな :「ゴーオンジャー!!!!!!」
隊員全員:「キュピーン!」
ブルー :「エンジンパワー、満タンっす!」
レッド :「みんな、いくぞっ!」


以下略




笑ってしまうくらいに、ショーの内容は、何も変わっていなかった。ヒーローショーのメッカ、東映太秦映画村だからこそ変わっていなかったのかもしれないが、これら舞台はもはや、伝統芸能の域にまで達しようとしている。


だが、その「変わらなさ」以上に僕の興味を惹いたのは、それを見る観客の変わり様、だった。



ショーを見ながら何度も「あれっ」と思う。子供たちの自由な声援が聞こえてこないのだ。「がんばれー!」とか、「まけるなー!」とか、「はよしねー!」とか「武器かしてー!」などなど、関西ならではのツッコミもまるで聞かれない。ショーの盛り上がりがピークに達した時でさえ、前の方の席の子達も、静かに舞台を鑑賞していた。この違和感といったら、ない。


僕が覚えている限りのヒーローショーは、前述の通りもう、ショーの進行やヒーローのセリフ関係なしに「レッドファルコンー、ヘルメットとってー!」「敵のチャック開けろー!」などと言いたい放題だった。そういったナンセンスな声だけでなく、純粋な「頑張れー!」という声援も、言いたい時に言いたいだけ言っていた。



それがこの「ゴーオンジャーショー」では、見事に「揃ってしまって」いたのである。お姉さん、あるいはゴーオンレッドの「さんはいっ」という掛け声、タイミングを待ってから「がんばれー!」と一斉に声が上がる様は、なんとも違和感があった。誇張ではなく、本当にびっくりするぐらい大きな声が上がるにも関わらず、不必要な時にはほとんど子供の声が聞かれない。
もちろん、お姉さんやゴーオンレッドにとってはその方が都合が良いに決まっているのだが、にしてもなんだかいまいち盛り上がりに欠ける。「これ、ショーで見る意味ないんじゃないか?この子達は。」と思ってしまう。テレビに出ているヒーローが今、目の前に居る!という高揚感と共に自然に声が発せられるような衝動は、どうやら襲ってこないらしい。





おそらく、「敵のチャック開けろー!」という声援は、今会場で発してしまうと「KY」だ。それを子供たちも敏感に感じ取っているのだろうか?「KY」になるとマズイ、ということを、幼稚園や保育園そこらで学び取っているのだろうか。だとしたら、ある意味すごい。


『友だち地獄』という本の中で、著者の土井氏は「おやじ狩り」の例を挙げて、その「KYルール」なるものを示している。「おやじ狩り」は、「おやじを狩ること(によって得られる金品)」が目的ではなく、「おやじ狩りをしたこと(によって仲間はずれにされないこと)」が目的になる。つまり、自分が属する集団の空気を乱さない=自分のおやじ狩り武勇伝を語れる、という状況こそが目指されることになるのだそうだ。
それをこのゴーオンジャーショーに当てはめてみると、参加した子供たちの目的は「ゴーオンジャーを応援すること」ではなく、「ゴーオンジャーショーを滞りなく進めること」になる。なんという奉仕精神!これでショーが楽しめているかどうかは本人次第なので判断できないが、自分が主催者だったとしたら、自分たちは何のためにショーをやっているのか、見失ってしまうことだろう。ショー、じゃなくて、演劇、むしろテレビだ。観客などいないも同然である。



漫画アクション連載中で、文化庁メディア芸術祭で優秀賞を受賞した『鈴木先生』という教育現場マンガに、印象的な一コマがある。優等生で委員長の小川が、主人公の鈴木先生に向かって一言。




私もちゃんと「優等生」でいるから、先生もちゃんと「人気者の先生」でいてね、というセリフの後には、「(じゃないと、クラスの空気が乱れちゃう。)」という言葉がおそらく続くだろう。おやじ狩りも、ゴーオンジャーショーも、そしてクラスでの役割も、自分の楽しみや欲望を犠牲にしてまで献身的に守らなければいけない「大切な」ものになってしまった、ということだ。



ゴーオンジャーショーを見ながら、退屈で早く帰りたがっている子供に向かって、母親が放った一言がまだ耳を離れない。「あんたもつらいやろうけど、あたしもつらいんよ。我慢しーや。」一体彼らは誰に対して我慢しているのだろうか。もはや、ヒーローショーを何のために見ているのか分からない。それでも、部屋を出ることも、思い切り声援を送って退屈をしのぐことも出来ない空間は、つらい。




ショーの終盤になりきりコーナーがあって、ステージ上でゴーオンジャーポーズを決めたい人を募集していたが、全然手が上がらなかった。
いっそその時に手を上げて、「ゴーオン!」と喚き叫び、
気持ち悪いお兄さんを演じてやればよかった。
後悔した。


おおはし

*1:今作は、主人公たちの経歴や正確にクセがあったり、悪玉の幹部が元AV女優の及川奈央だったり、主題歌に気合が入っていたりと素晴らしいので、一度見てみることをオススメする。日曜朝7:30はテレビの前へ。

*2:ショーには、太秦映画村限定の「スーパー太秦スリー」という3人組も出演していた。ストーリーに関わる大事な役柄だったのだが、さして今回の主張には関係が無かったので割愛。3人ともエドはるみの「グー!」のネタを連発しては、スベっていた。笑わない子供ほど怖いものはない。