「夢は逃げていかない」と言われたかった。 後悔10日目


―― 大人たちは、子供たちの場所を、奪ってはいないだろうか?
―― 子供たちの声を、ちゃんと聞いているだろうか?

―― いじめられ、無視され、辛い思いをしているお前たち、
―― 勇気を出して、ほんの少しでいい、
―― 受話器からその声を、お前たちの声を聞かせ欲しい。

―― ニッポン放送義家弘介の「夢は逃げていかない」。



――ジャーンジャンジャンジャーンジャンジャン
――ジャーンジャンジャンジャーン

――終わらない歌を歌おう〜 クソッタレの世界のため〜
――終わらない歌を歌おう〜 全てのクズどものために〜



日曜日、ガキの使いを見てからいつもシャワーを浴びるのだが、風呂場に入りラジオをつけた途端、いつもバッチリこの「義家弘介の『夢は逃げていかない』」が始まる。聴こうと思っているわけでもないのに毎週同じ時間にシャワーを浴びてしまうのは、無意識的にこのラジオが好きなのかもしれない。

ラジオを聴いている「お前たち」からかかってきた電話に、義家先生がガチで答えるのがこの番組のメイン。いつもブルーハーツの曲がかかるタイミングが絶妙で笑ってしまうが、まさにその歌詞にあるような、あるいは尾崎豊に表象されるような世界が、ラジオの向こうに広がっている。間違っても、mihimaru GTなんかはかからない、そんな世界だ。

そう、このラジオを聴くたび覚えるのは、なんとも言えない距離感である。遠い世界で起こっている出来事、もはやファンタジーの域にある出来事が、流れてきているように思えるのである。



先週は、家に帰っても無視され、家にいられる状況ではないためにバイト先で寝泊りし、学校生活も上手く過ごせていない女の子(男が電話してきたことは、そういえば、ない。)のエピソードだった。中学生だか高校生だかは忘れたが、「他人に迷惑をかけてしまうのが、怖い。場を乱すのが怖い。」という『友だち地獄』(土井隆義ちくま新書)にどっぷりはまってしまった子が、涙ながらに自分の思いを吐露する。社員さんに無理を言ってバイト先に泊めてもらい、そして学校に行く、という日々が辛くて辛くて。

そんな彼女に、僕らの義家大先生は「俺に迷惑かけていいよ。」と返す。結構食い気味で返す(それが面白い)。「お前だけが我慢して、辛い思いして、それでいいわけない。親にも迷惑かけたくない、って、お前と親との間に迷惑なんてものはない。それは、親と子の間での普通の出来事だ。」と熱い。

「ちょっと、俺が行って親なり先生なりと話したい。専門的な方法を取ることになるかもしれないけれど、お前がよければ、行ってやるよ。国会も閉幕するし、な。」

何度と無く使われる「専門的な方法」が分からないのと、絶妙なタイミングで入ってくる「国会閉幕」のキーワードに思わずシャワーを落としてしまいそうになる。ぽろっと。しかししかし、義家先生の答えはいつも的確で、時には感動的でもある。彼は全国の中高生の何%かを救っていることだろう。素晴らしい。



何週か彼のラジオを聴いていると、
彼の論法に共通点があることを発見した。
それを究極的に短くすると、「俺がいる。」だ。

学校でいじめられて一人ぼっちでも、「俺がいる。」
親に虐待されていても、「俺が行って助けてやる。」
他人に優しく出来ない子がいても、「俺に電話してくれたじゃないか。」
教師にまでいじめられている子には「俺がなんとかしてやる。専門的な方法で。」

この「俺がいる」系の発言と、「本当に来てくれるんじゃないか。」という信頼感、元ヤンキー=情に厚いという図式、そして教師としての実績。それらが相乗効果となって、我々の心に響いてくる。冗談でもなんでもなく、「先生がいれば、大丈夫。」なのだ。



しかし、義家先生に電話できないような、あるいは義家先生的な教師が自分の学校にいたとしても相談できないような生徒にとって、このラジオの世界は果てしなく遠い。僕自身、かなりの憧れを持って聴いている節がある。

先週は会う人会う人と、秋葉原の通り魔殺人の話をしていたが、そのたびに「どうすれば防げたのか」「どうすれば今後防げるか」という対策の部分になると途端に何も浮かばなくなったのを思い出す。結局は親、あるいは教師の教育の問題だった、と片付けられそうだが、それではあまりに教訓も何も無さ過ぎる。どうすれば彼を救えたのだろう。

当たり前だが、義家先生に救われるような生徒は、義家先生に救われる。しかし、義家先生に救われないような生徒は、救われない。通り魔の加藤容疑者はおそらく後者だろう。義家先生に「俺がいる。俺はお前が好きだ。お前はちゃんと誇りを持って働いているし、生きる価値がある。」と言われても、「いやでも俺モテないし。」とすぐ理屈を返すだろう。「別に義家先生に好かれても意味ないし。女子にモテたいんだし。」

ヤンキー文化にコミットできない人たちを、どうにかする場が必要である。
義家先生のヤンキー殺法で瞬殺出来る生徒はいいが、
そうじゃない生徒、加藤容疑者のような男子生徒はどうすれば良いのか。
例えば女の先生が「加藤くん、私はあなたのこと好きよ。」と言ってくれればいいのだろうか?
しかしそうなると最終的には性差の問題になって、妊娠するかしないか、性行為に責任を持てるか持てないか、に回収されてしまう気さえする。それでは童貞連合の「非モテ保障金」と同じである。

ああ、八方塞。



ちょうど2年前に我らが横浜国立大学で講演会をして下さった義家先生。教師になる前は塾講師で、天下が取れるほど最強の社会科担当だったそう。敏腕だったらしい。学生の質問に、「教師になるためにやっておいたほうがいいこと? 恋です。みなさん、恋愛は最高のコミュニケーションです。頑張ってたくさん恋をしてください。」と言い残し、6号館から去っていく姿はさわやかだった。先生にはその道でたくさんの中高生を救って欲しい。

ちなみに来週、日曜24時〜25時放送の「義家弘介の『夢は逃げていかない』」、
ゲストは前首相、安倍晋三である。
これは聴くしかないぞ。


「夢は逃げていかない」なんてことを言う教師は、
中学時代、高校時代と完全に見下していたが、
今になってそんな教師の大切さが分かった。
もっとちゃんと話を聞いておけばよかった。
後悔した。


おおはし