死刑っ!−快感原則の彼岸−


長きにわたる沈黙を破って今、初めての議事録を書かせていただきます。こういったきちんとした文献を基にものを書くことに慣れていないため、至らないところもあるかと思います。どんどん指摘していってもらえるとありがたいです。

先日、連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤死刑囚の死刑が執行された。死刑が確定してからは待遇が変わり、漫画やアニメを見ながら過ごしていたようである。死を待つ立場になったものに対する配慮であろうか。この処遇に対する是非については言及しないが、死を待つ間に好きな事して過ごすというのは形式的に見れば非常に理想的なものである。今日の人々は自分が死ぬことを前提としているのであるし、それまでにどれだけの快を得られるかに苦心するわけだが、もしそれが漫画やアニメを見ることだったなら、宮崎勤はとても幸せな最後を迎えたといっていいだろう。

今回の「快感原則の彼岸」におけるひとつの発見あるいは提言は、『すべての生命体の目標は死である』ということであると思われる。生命の生まれる以前、何かの弾みで無機物に生命が宿り、それによって新たな不安や緊張状態が生み出されることとなった。その状態から抜け出すためにすべての有機体はかつての安息地、つまり無生物へと回帰・解体していくことを志向していくというものである。この〈死の欲動〉に対抗するものとして〈生の欲動〉が存在し、生命活動とは常にこの二つの抗争によって営まれている。

死の欲動〉を完全に超越し、〈生の欲動〉を最大限に引き出した考え方に不老不死というものがある。かつては神仙思想や錬金術などで模索されていたが、最近は漫画の中にさえその存在を認めることは難しい。少し前までは傲慢な悪者として不老不死を欲するようなキャラクターが登場していたが、現在の不老不死といえば永劫回帰の時を生きるかわいそうな人という印象が強い。もし、今の人が世界を闇に葬ってまで手に入れたいものが不老不死であるという感覚に違和感を持っているのだとしたら、人々は〈死の欲動〉に従っていると言えるのだろうか。それとも〈生の欲動〉が低下し、相対的に〈死の欲動〉が浮かび上がって来たのだろうか。

考えられる原因として、医療の発達と共に平均寿命は延びたがその結果なかなかあっさり死ぬこともできず、後期高齢者医療制度などで長生きすることにそれまで幻想を抱きにくいというような、社会的な要因が挙げられるかもしれない。しかし、いつの時代も長生きすることが理想だったとは言えないし、むしろ永遠の生命を求めていた時期の方が特殊であったと考える方が自然かもしれない。では、欲動と言われるほどに根源的であるこの〈死の欲動〉は今の我々にどのように働きかけてくるのだろうか。

そこで冒頭に上げた死刑制度である。鳩山邦夫法務大臣に就任してから、過去最多の13人の死刑が執行された。現在でも死刑の是非については議論が活発に為されているが、反対派の主な意見は、「生きて悔いながら罪を償っていくべき」と「冤罪の可能性も否定できない」というこの2点であろう。後者の意見はまだ分かるとしても、前者の意見は死が救いとなっているという意味あいが込められているような気がする。果たして死ぬことが救いで生きることが苦なのだろうか。ではなぜ、みんな必死に生きているのだろうか。罪悪感を背負って生きていくことに意味があると言われるかもしれない。しかし、死刑になるほどのことをした人間がそこまで敬虔な性格の持ち主だとは思えない。これについての答えは簡単に出そうにないが、死刑によって〈死の欲動〉が満たされてしまうという批判があるとしたなら、それは否定しなければいけない。前述したとおり、生命活動は〈死の欲動〉と〈生の欲動〉という両者のせめぎあいによって営まれていく。もし〈死の欲動〉が今まさに最大限満たされてようとしているなら、それと同時に〈生の欲動〉は最大限の抵抗を示すであろうし、それはやはりかなりの苦痛であると容易に想像できる。

しかし、自らの死を自覚しながら生きているという構図自体は普通に暮らしている我々と変わらないし、宮崎勤のように獄中でも満たされてしまったなら、そこには壁一枚隔てただけの違いしかない。宮崎勤は死刑(制度)によって満たされたのかもしれない。よく言われる、「あと10年生きるのも今死ぬのもそんなに変わらない」ということを本気で言えてしまえる人がいたとしたら、獄中での生活を楽しみそこで死を迎えても苦にしない人がいたとしたら、それはきっと社会的に最強な人物である。この世に現代最強決定戦があるとすれば、その予選は二つ。「簡単に人を殺せるか」そして「その後もエンジョイできるか」。見事その予選を勝ち抜くことが出来れば晴れて最強人間であり、喜びを持って死が与えられる。

話が逸脱してしまったが、〈死の欲動〉から出発した最強人間決定戦は昨今の事件にも当てはめることが出来ると思う。〈死の欲動〉が関わっているか分からないが、最近の事件を見るにつけ、一次予選の突破者は年々増えている。スポーツと一緒で基本的なレベルが向上していっているのだろうか。やはり後は二次予選をいかにして突破するかであるが、これについては自身の欲動を飼いならさなければいけないので、相当な困難が予想される。今後参加予定者は二次予選のことも視野に入れて臨んでもらいたい。

ゆーざき