「普通になりたくない」なんて、言わなければよかった。 


後悔14日目


『なりたい大人が周囲にいないと考えている中高生は約5割に上ることが、独立行政法人国立青少年教育振興機構が公表した2006年度調査で分かった。また、高校2年生の7割は将来仕事に就く条件に「正社員」を挙げ、安定的な雇用への意識の高さがうかがえる。調査は昨年1、2月に実施。小学校の4年生以上と中学、高校それぞれの2年生合わせて約1万8500人から回答を得た。この中で、なりたい職業が「ある」と答えた子供は、小5が82%、中2、高2はともに69%。一方、周りに「あの人のようになりたい」と思う大人がいるかとの質問に「いない」と答えた割合は、小5で33%だったが、中2で49%、高2で51%に達した。』(時事通信

各テレビ番組などで取り上げられたこのニュース。「なりたい大人がいないこと」以上に、「なんておあつらえ向きの調査なんだ!」と、調査題目自体に驚いてしまったが、結果は結果、どうやら今の日本には、「なりたい大人」が周りにいない中高生ばかりらしい。


かく言う自分も、「もし今、なりたい大人はいるか?と聞かれたら…」と、テレビを見ながら考えてみたが、明確な「なりたい大人」は浮かばなかった。小学校の頃に「尊敬する人物は?」という調査があったが、よく考えるとその時も、「先生や大人はこう答えて欲しいんだろうな。」と、「父」「松井選手」「手塚治虫」などとお伺いを立てるような回答をしていた。単純な「大人になることへの抵抗」もあったかもしれないが、優等生を演じていた。

上記の調査からは、二通りの推理が出来る。
一つは、「周りの大人がだらしない。もっとすごい大人に、俺はなる。」というポジティブなもの。
もう一つは、「周りの大人はなんだかしんどそう。あんな風には、なりたくないなぁ。」というネガティブなものだ。

この二つを見たとき、どう好意的に見ても、調査結果は後者のネガティブな方の論を援護射撃しているように見えてしまう。


リアルなのは、高校生の52%という数字である。中学生ならまだ「あんな自分勝手なオトナにはなりたくない!」のような、中二病的、尾崎豊的な心的作用が働いていそうだが、高校生になってまだそんな反骨精神を抱き続けている人は、稀有なのではないかと思う。

とした時、ネガティブな「大人はみんな、しんどそう。」という思想が、高校生を支配していると考えられる。「あいつでもない!こいつでもない!俺は俺になるんだ!」というような自己実現的な「なりたい自分探し」ではなくて、「あの人とも、この人とも違う、世界に一人だけの自分探し」という、聞き飽きたような「若者の病理」がここにも映し出されているのだ。


聖書に書かれているかのように、「個性を伸ばす教育」というものが叫ばれ続けてきた。ゆとり教育総合学習などのカリキュラムが組まれ、子供の意思、長所を大切にするような政策の実は今の中高大生の頭の中に結んでいる。しかし、結果としてその行く先が、「なりたい大人はいない」だった。長所を伸ばして、伸ばして、その先にいる素晴らしい人を目指しなさい、という風に向かうはずだったルートが、「いや、あの人とも、自分は違うんだ。」という個性化によって道を分け、それぞれが堅固な自己肯定を獲得してしまったのである。

漫画を描いて、描いて、描いて、その長所が伸びた先が手塚治虫、だったはずが、「手塚治虫」でもない自分を肯定するようになってしまう。個性とはそれが評価されて始めて価値を持ったはずが、個性的であるだけで評価される空間の中で育った人間は、自己肯定的にならざるを得ない。


「なりたい大人」がいない状態、それこそが「なりたい大人像」なのである。
そんな「誰でもない自分」こそ、個性が伸びきった先の憧れの完成形なのだ。
中高生が、今や人生のピークなのである。

そして後は、「なりたくない大人」像へと、近づいていくだけ。


私は貝になりたい、という文句があるが、残念ながら人間は貝にはなれない。
調査の質問項目に「正社員」と並列して「貝」と書いておけば、
きっとネタでなく、それなりの票数が集まるはずである。
そのぼんやりとした「正社員」「貝」という無機質な響きから、
どこか「普通」へと還りたい意志が見え隠れしないだろうか。

「普通になりたくない」なんて、言わなければよかった。
後悔した。


おおはし