本当のエコを教えてしんぜよう


――Issue29


若干時期がズレてしまいましたが、洞爺湖サミットについて。
今回は環境問題がテーマだったそうで、おそらく各国の首脳やその道のプロの方々が、けんけんがくがくと地球の明日について議論を交わしあったのでしょう。では僕も、症候会議の首脳(自称)として一家言させていただきましょう。

僕はここである一つのテーゼを打ち立てたいと思います。本当は「人間そのものが環境破壊」と言いたいところですが、それではあまりに情けのないこと。ここは少し譲歩し、次のようなテーゼを立てましょう。
前々から僕が考えていたそのテーゼとは、「人間が集まることそのものが環境破壊」、です。


今回のサミット、開催前は現地の観光産業が恩恵を受けると目されていましたが、実はそんなにでもなかったそうです。なんでも、集まってくるのは超VIPの面々と彼らの周りをがっちりとかためる屈強なガードマンたちや、サミットを取材するクルーだけ。VIPには観光地をめぐる時間もないですし、観光地によくあるショボイキーホルダーなんて買わないわけです。ガードマンや取材クルーにしたって、観光地にお金を落とす暇なんてなかったんですね。その変わりといっては何ですが、サミット開催時に潤った産業というのは、最近原油価格の上昇に喘いでいるはずのガソリンスタンドだったそうです。VIPを乗せる高級車や取材クルーの中継車がたくさん移動して燃料を消費するから、それはそれはガソスタは儲かったそうです。


いろんな人が集まって、美味いもんをたらふく食って、飛行機と自動車を乗り回してガソリンをじゃんじゃん使って、地球の明日について話しあったわけです。これって何か矛盾してないでしょうか?


そういうことを考えるとやはり「人間が集まることそのものが環境破壊」だと、ますます思えてくるわけです。


このことにいち早く気がついていたアーティストもいます。英国のロックバンドのレディオヘッドは、今年リリースした新譜のプロモーションのための記者会見やインタビューをすべて、テレビ電話などの通信機器を使ってのみ行いました。つまり海外のライターとは直接会わなかったわけです。
一見すればこれは、有名アーティストによくあるワガママエピソードとなるところですが、これが画期的だったのは取材する方がレディオヘッドの元を訪れることをも禁じたからです。彼らの狙いはつまり、エコだったんですね。レディオヘッドが世界を移動するにしろ、世界中のライターが彼らの元に向かうにしろ、多大な燃料が消費されます。だから彼らは、テレビ電話などの回線を使ったやりとりをすれば多少の電気は消費したとしても、なんら燃料は使わなくていいじゃないか、と考えたわけです。

もちろん、いくら人気ロックバンドだとしても、レディオヘッドのコメントを聞きに渡英しようと思っていた音楽ライターの人数なんて、世界人口に比べるとたかが知れていますから、彼らの試みの成果は微々たるものではあります。でも彼らのソウル、彼らの心意気は称賛されるべきでしょう。やはり「人間が集まることそのものが環境破壊」なのです。

日本ではある有名ロックバンドのボーカルが、近年なんたらバンクとかいう別個のユニットを結成してエコロジー的の活動をしていますが、あのように徒党を組んで山奥でフェスをして、愚民をわんさか集めるのもいかがなものでしょうか。それ自体、けっこうなアンチエコ的活動にも思えてくるわけですが・・・。


これはしかし、マクロ的な問題、大きな会合とかそういうものに限った問題ではないんです。首相でも何でもなくたって、人と人が会えばなんだって、エネルギーを消費してしまうアンチエコ的な営みになるわけです。


たとえば、あなたが道でばったり知人に会うとしましょう。そしてそこで立ち話になったとしましょう。もしかしたら話をしているうちに、「立ち話も何だから、ファミレスでも入る?」ということになるやもしれません。こんなとき次のような考え方も成り立つことを僕らたちは留意しなければなりません。あなたがファミレスで頬ばることになるチョコレートパフェは、あなたがのどを潤すことになるメロンソーダは、「道でばったり知人と会う」ことさえなければ消費されなかったはずなのであります。


他にもあります。夏になると実感しますが、人って熱いですよね?
先日ある場所で試験監督をする機会がありました。普段は試験を受ける方であり、紙面の問題に集中していたので気がつかなかったのですが、試験官という立場になって気がつきました。人って集まれば熱いんですよ。するとエアコンも付けなければならなくなります。


まだまだあります。体温でなくたって、人って他人にとっては迷惑な存在なんですよ。このことについてはほかのところで書き連ねたので、もうウダウダ言いませんが。たとえば、出会うことで互いが互いの迷惑になるからこそ、対人関係のマニュアル本なんてのものまででているわけでしょ?人間がお互い迷惑な存在でなかったら、その類の本なんて出版されなかっただろうし、印刷もされなかったでしょう。資源の無駄ですよね。


このようにして人々は、出会うことによって、知らず知らずのうちにジワジワと地球を追い込んでいっておるわけであります。あー怖い。


ん?一人でいたらいい、ということでもない?確かに、一人一人が家に引きこもってエアコン付けていたら、集まっているよりエネルギーを使っているようにも思えます。反対に、みなで集まっていれば、1カ所のエアコンしか使わなくていいですからね。これは単純な論理です。
でも実情はどうでしょうか。どこかに人が集まったとき、電気代はほかの誰か別の人が払うということが多いため、エネルギーの使いっぱなしや浪費をずいぶんしてはいないでしょうか。
人間は利己的なもので、エコロジーの精神が働くときは概して、「ドケチの精神」も同時に働いているはずです。海外ではやっている日本語「MOTTAINAI」も、言い方をかえればドケチの精神、「スピリット オブ ドケチ」のことですからね。他人のものとなると、「ちょっとだけ」のつもりで使い始めたものが、しまいには「大盤振る舞い」になってしまう、それが人間という俗物の本性であります。


でもその人間の利己的な部分、そのエコロジーの精神とドケチの精神の連動性を逆手にとって、エコのために使ってやろうという作戦も成り立つのではないでしょうか。


現に今僕は、おそらく30度はあるだろうという自室で、まあほとんど意味なしと思われる扇風機一つを強に設定し、この文章をせっせと書いているわけです。こんな誰にも求められていない苦行のようなことも、僕のケチな性分、いやいや倹約家としての側面があるからこそなせる技なのです。やっぱり「人間が集まる」より孤立していたほうが、エコ的なのであります。


話を「人間が集まることそのものが環境破壊」ということに戻しましょう。男女の出会いの極致、セックスだってそうですね。あれは反エコロジー的行為ですよ。
人間あれほど密着することは他の場面ではほとんどありません。36℃近くある物体とあれだけ密接すれば、お互いが暑苦しいだろうし、エアコンも使いたくなります。避妊をしているなら、コンドームが浪費されます。あれだって天然資源から作られていますよ。もし避妊に失敗して子供ができてしまった場合、中絶することも考えられます。この場合は医療廃棄物がまた1つ増えることになる。おっと、今ブラックジョークが入りましたよ。


インターネットがここまで普及した現代。もうね、人なんて極力会わなくていいんですよ。回線上でやりとりすればいいんです。出会うとすればそれは、本当に必要な出会いだけにしてください。地球のことを考えているなら、大切な出会いだけをしてください。そして、大切な人とだけセックスをしてください。無駄なセックスはつつしんでください。あなたが卑小な快楽に浸っている間にも地球が泣いているのです。



僕はいったい何を言ってるんでしょうか。



イマダ