宗介「ポニョなんて拾うんじゃなかった。」 


後悔16日目


先週の月曜、三連休の最終日に映画館へと足を運んで「崖の上のポニョ」を見た。ジブリジブリと話のネタにはよく挙がるものの、実は映画館で見たことなどない、という作品が多いので、一回くらいは金曜ロードショー以外でジブリ作品を見ようと重い腰を上げて向かったのは横浜みなとみらい。過剰なまでのCM広告と、狙いに狙ったテーマソングで全国各地満員御礼らしいポニョは、横浜の109にも「ポニョっ子*1」を量産していた。


崖の上のポニョ

崖の上のポニョ


夕方18:30の回とあって、満員御礼とまではいかなかったが、それでも親子連れとカップルがひしひし。会場外では歌っている子もいてどことなく和やかだ。「ポニョ見るのー!」とぐずりながら、『インディー・ジョーンズ』に連れて行かれる子供がいるのを見て、かなりかわいそうに思う。彼には強く生きて欲しい。


さて、映画の内容だが、なんだか釈然としないストーリーだった。いわゆる「海を大切にしなさい」というエコな主題でくるのかと思いきや、後半はポニョの嫁入り話へと姿を変え、最後は宗介の冒険活劇と、なにやら一貫性が無い。まぁそれがいいのかもしれないけれど、誰に感情移入していいか分からなかったのはマイナスポイント。ジブリっぽいドロリドロリとしたローションみたいな水の描写と、後なにかにつけて走るシーンは確かにかっちょ良かったものの、賛否出るのは仕方ないな、という映画だった。

しかしなにより一番気になったのは、一番最後のシーンだ。宮崎監督も言っているのでもういいかと思うが、最後はステキなハッピーエンドである。ポニョと宗介とのかわいらしいキスシーンが描かれ、画面が周りから黒く塗りつぶされて、最後二人の顔だけが丸く残る、というベタベタな演出に皆が微笑んだところで、「ぽ〜にょぽ〜にょぽにょさかなのこ〜♪」と主題歌挿入。宮崎アニメらしい、さっぱりとした終わり方だ。

しかーし、問題なのはそのキスシーンである。「ポニョ、そうすけ、好きー!」という単語だけで延々と求愛を迫られ続ける宗介は、逃げても逃げてもポニョに付きまとわれ、結局一緒に居ることを強制されてしまう。一応彼は自分自身で「ポニョは僕が守る」と決めているものの、主導権はほぼポニョが持っていたようなものだ。そして最後のシーンでも、キスは、ポニョが飛び上がり、宗介の唇にちゅっと触れるのである。これは大問題だ!

何が大問題って、この構造がいわゆる深夜アニメと寸分違わない、ということである。7月スタートの新番組を見ている世の人々なら分かるとおり、いわゆる「契約モノ」が深夜アニメには多数ある。突然かわいい女の子が空から降ってきて、「時間が無いんです!早く契約を!」、何も分からないまま主人公は終身の契約を結んでしまい、そこからドタバタラブコメディが始まる…、という構造が乱立しているのである。ゼロの使い魔セキレイなんかが今クールだと代表的だろう。古くは「うる星やつら」のラムちゃんにまで戻れるだろうか。

そう、ポニョの「そうすけ好き好き!」攻撃は、布一枚でダメ主人公に迫る二次元少女のそれと同じなのである。しかし、残念なのは相手の宗介が幼すぎたことだ。うる星やつらの主人公諸星あたるは、ラムちゃんに好かれながらも他の女性を好きになってしまう自分を、知っていた。そうして他の女性を好きになる可能性を知っているが故に、ラムちゃんと契約することを「選ぶ」ことができた。しかし、宗介はただ純粋無垢に「契約」を結んでしまうのである。

ポニョと宗介の契約に漂うどこか「無理やり」「なりゆき」な感じは何なのだろう、どう言語化できるだろうか、と考えていた答えが今浮かんだ。あの不自然な雰囲気は「できちゃった結婚」を見たときのものなのである。

『婚活時代』という新書のテーマは「女ども、狩りに出よ!男ども、自分を磨け!」であった。しかし肝心の結婚という「契約」に至る最後の一手は、いまだ「プロポーズ」という男性の行為に委ねられている(ように思える)。それを女性の側が何とか乗り越える行為、それこそが、「できちゃった」攻撃なのではないかと、僕は考える。ポニョは別に妊娠したわけではないが、それを上回る「契約の必要性」によって、宗介に間接的にプロポーズさせたのである。


10年後、宗介は崖の上の家に上がり込んだポニョを見てこう言うに違いない。
「ポニョなんて拾うんじゃなかった。後悔した。」



おおはし

*1:某blogで「ポニョが好きな人のことを『ポニョっ子』と呼ぼう」キャンペーンを行っていたが、全っ然流行っていないので少し協力することにする。