そこらへんに、内定落ちてませんでした?


2nd GIG


どうもこんばんは。イマダです。
この世はまことに不条理である。というのもこの世では、生きていくためにはものを食べにゃならん、ものを食べるためにはものを買わにゃならん、ものを買うにはゼニがなくてはならん、ゼニを手に入れるには仕事をしなければならん、という理解しがたい負の連鎖がまかり通っている次第であり、要するにそろそろ就活をしなければならんのです、僕。

「はて?シューショクカツドー?そりゃ一体なんぞや」と、辞書を開かんばかりに就活とは縁遠い生活を二年ほどしていた僕は途方にくれる、はずだった。そんなところに、後輩の通称「眼力くん」から合同セミナーへのお誘いメールが。これは渡りに船、とばかりにその誘いに乗ったのである、初めての合同セミナー。

およそ一年ぶりに対面した鏡の中にいるスーツの男には、違和感が残る。というか違和感しか残らない。例えるならそれは、大相撲中継の解説席に座るデーモン小暮という図のそれに優とも劣らない。悲しいかな、デーモン閣下がいくら相撲愛にあふれ、解説席で相撲愛を発散させたとしても、その違和感はぬぐい去れないのである。それと同様に、僕がいくら就活に燃えていたとしても(仮定ね、仮定)、そのことによって、僕のしまりのない顔がスーツに馴染んでくるという可能性はみじんも、ない。


気を取り直して、いざ合同セミナーへ。会場は東京ビッグサイト。あのエヴァに出てくる使徒みたいな物体だ。
電車を乗り継いで行く道すがら、徐々にスーツ姿ではあるが、どうもふつうのサラリーマンではない、どこかばつの悪そうな表情で電車にゆられている若者たちが増えていった。そう、僕と目的地は同じであり、彼らは僕と同じ就活性なのだ。それにしてもなんだ、彼らのどこか落ち着かない雰囲気は。どうやら僕と同じく、彼らも「学生の自分」と「就活生の自分」という身分の著しい乖離を覚えているらしい。

で、なぜこっちはそんな彼らをまじまじと観察する余裕があるのかというと、それは端的に言って僕が眼力くんと二人でいるからだ。こういう慣れない場所では、例え二人だとしても数で勝っているほうが、精神的にも優位に立てるのだ、ワッハッハ。

ビッグサイトにつく。会場にはいると、テレビでも何度か視たことのあるあのコンクリ打ちっ放しのだだっ広い空間が、本当にただただ広がっている。
ところで、先にも書いたが、僕は初めてビッグサイトに訪れた。が、目の前に広がる光景には、どこか「既視感」のようなものを覚えたのである。
何枚ものパテーション、そしてそれらで小刻みに区切られた各企業のブース、この光景って、どこかあのコミケとかと似てないか?
ビッグサイトといえば、コミケである。僕自身は、まだ一度も行ったことはないが、ビッグサイトといえば、何を隠そうオタクの聖地、でもあったのだ。
事実、入場して早々に尿を足しに行った眼力くんの報告によれば、ビッグサイトのトイレには、コスプレへの着替え目的でのトイレの個室利用を禁ずるという旨の張り紙がしてあったそうだ。「うんこは流せ」という張り紙はよく見かけるが、「コスプレやめれ」という張り紙は、日本中探してもここと秋葉原の公衆便所ぐらいではなかろうか。


すると、こう考えることはできないだろうか。
僕らは合同セミナーに来たのではなく、コスプレパーティーに来たのであって、僕らが来ているのはリクルートスーツではなくて、「企業戦士」という名のコスプレなのだと。

もちろん、暴論であることは認める。
たしかに、自分のファンタジーを全開にしてコスチュームを着飾る彼らコスプレイヤービッグサイトに向かう積極的な足並みと、自分がどうというよりも状況的に就活へと追い込まれて嫌々ながらリクルートスーツを着込む僕ら就活生のビッグサイトに向かう消極的な足並みとは、月とすっぽん、うんことケーキほどの相違があるのだろう。


しかし、だからといってコスプレイヤーと僕ら就活生が全くの無関係ということにはならない。むしろ、ビッグサイトにおもむく人間の中で、積極的に行くコスプレイヤーを差し引いたやつらが、消極的な気持ちでビッグサイトに向かう人間たち、すなわち就活生なのだと考えた方が妥当なのではないか(もちろん「両方行く」というさらに“積極的”なやつもいるだろうが)。

こういうことを思ったのは、先週あるテレビ番組を観たからである。タイトルはもう忘れたが、とりあえずしょこたんがMCだったことは覚えている。今週のその番組は、コスプレを審査するコンテストの続編ということで、途中からだったのだが、僕は彼女らコスプレイヤーを視ていてあることに気づいた。


コスプレとは、「出オチ」なのだ、と。


それはどういうことか。このことを考えるのには、モノマネとの比べてみるのがよい。モノマネというのは何か。例えばコージー富田のタモリ原口あきまさ明石家さんまというのは、もはやモノマネの代名詞といって差し支えないだろう。では彼らのモノマネを構成しているのはいったい何なのだろうか。


ここで強引ながらも、ラカンボロメオの結び目、三界(象徴界想像界現実界)を当てはめてみよう。コージーと原口に限らず、モノマネ芸人がモノマネをするのに欠かせないのはその見た目である。コージータモリならあのオールバックのカツラとサングラス、そしてマイク。原口のさんまであるなら、あの出っ歯のつけ歯(マウスピース?)。それはイメージ、想像界の領域である。
そしてもう一つ欠かせないのは、彼らのまねた仕草、声色である。コージータモリで人気を博したのは、なにもあれがタモリそのものだからではない。遍くモノマネがそうであるように、あれは「リアルタモリ」ではない。彼はタモリの、原口はさんまのデフォルメであって、彼らはいわば「記号化」に成功したのである。彼らのモノマネの仕草、声色とはつまり、象徴界の領分だと言えよう。
では、ここでいうところの現実界とは何なのだろうか。想像界象徴界が破綻した先に見えるそれ。それは、何を隠そう彼らのモノマネが「似てない」という事態である。イメージの領域が欠けても象徴秩序の領域が欠けても、僕らは彼らのモノマネにほころびを感じる。そのほころびにこそ現実界が見えるのではないだろうか。
忘れてはならないのはボロメオの結び目のうち、どれか一つが欠けてもならないということである。それと同じく、「似てない可能性がないモノマネ」は存在し得ないのである。


しかし、それに対してコスプレは、このモノマネにおけるような三界では成り立っていない。
先のしょこたんの番組に話を戻すと、出てくる人出てくる人、たしかにコスプレとしての見た目は、原作に忠実であり完成されてはいるものの、そんな彼女らの受け答えはといえば、ほとんど素の状態に近いのである。テレビということで多少は緊張していたのかも知れないが、中には登場して自己紹介を終わらせるやいなや、審査員席に座るしょこたんを始めとする人たちにほとんど丸投げしているという人さえいた。おいおいマジかよ、と思うのだが、それはコスプレに慣れ親しんでいる人からすれば、当然の光景なのかも知れない。だが、門外漢の僕からすればその光景は、ひどく異様なものに見えたのだった。
そんな彼女らが、2カ所だけ能動的にふるまう場面がある、それは審査員にその彼女らのコスプレしている当のキャラクターの決めぜりふを求められ、実際にそれを言ってみたとき。そしてもうひとつ、審査員たちにカメラを向けられるシーンにおいてである。
前者においては、それまでの頼りなさとは打って変わって、役になりきってセリフを言う。後者に至っては、「シャキーン」と効果音がするほど、明らかに彼女らの目の色が変わっていた。

そもそもコスプレイヤーの属性が、口べたであったり人見知りするタイプの人が多いということも考えられるが、それよりもコスプレという表現ジャンル自体がそのようなものであると考えた方がよいのではないだろうか。つまり、彼女らコスプレイヤーはモノマネという名の下で、「キャラクター」(想像界象徴界)を演じているのではない。あくまで彼女らが真似するのは表層、イメージ(想像界)においてのキャラクターのそれなのである。
つまり、コスプレとは圧倒的にイメージの領域、想像界のものなのである。セリフをまねるというのは、象徴コードの領域ではないのか、という説明もあるだろうが、それはちがうだろう。彼女らが言うのはあくまで劇中で実際にキャラクターがしゃべったセリフであって、それいがいではない。どちらかというとマンガという二次元のコマ割りされた空間から、三次元に飛び出してきた、と表現した方が良さそうだ。そしてそれは以前イメージの世界にとどまるのである。

では、彼女らコスプレイアーの象徴界とはどこにいったのだろうか。それは決してなくなったわけではない。彼女らの象徴コードは彼女らだけが独占しているというよりも、オタク文化圏そのものが共有している、と言った方がよいだろう。つまりそれは、カメラ小僧との関係性である。番組を観ていてわかったのは、コスプレイアーとカメラ小僧の独特の関係だ。カメラを撮る方は撮る方で、礼儀正しく撮らせほしいことを伝え、コスプレイアーに希望のポーズを告げる。しかし、だからといって、彼女らコスプレイアーが「撮影させてやる」という優位な立場にいるわけではない。彼女らだって撮ってもらいたいからしている、という側面もあるため、その撮影を断るとは考えにくい。


リクルートスーツに身を固めた僕らがビッグサイトの会場をさまようと、黙っていても何社もの企業の人事部の人が寄ってきてくれた(美人社員もいた!!)。それはさながら、コスプレをして歩くと無条件にカメラ小僧に囲まれるというコスプレイヤーのようだった。コミケの時ビッグサイトに現出する象徴秩序と同じ種類のものが、僕がセミナーで訪れたあの日、同じ空間において現出していたからなのかもしれない。
それと同じように、僕らコスプレ企業戦士が面接で企業の人に述べるのは誰かの「モノマネ」にすらなってなく、就活生の常套句、「セリフ」なのである。


あっ、だからなかなか受からないのか。


イマダ