『さくらん』なんて、見なければよかった。 後悔5日目




蜷川実花監督作品の『さくらん』が、日曜洋画劇場(テレ朝)で放映された。母の日になんて映画を見せるんだ、と思いつつ、序盤のエロシーンに惹かれてまた見てしまったが、本当に後悔した。


さくらん [DVD]

さくらん [DVD]


一度DVDを借りて見た時は開始15分で寝てしまったため、ストーリーが良く分からなかったのだが、今回テレビで一通り見終えたところで、結局良く分からなかった。最後、お花畑に駆け出すシーンでは思わず「いやいやいやいやいや。」と言葉が口をついたくらいだ。


別にストーリーがなかったことは問題ではないのだが、それ以外の点でふつふつと収まりきらない感情が沸いてくる。まったく、2時間を返して欲しい。返ってきたところで他に何をするでもないが。



さくらん』は、江戸、吉原の遊郭を舞台に、花魁とその愉快な仲間たちが繰り広げる色情模様を描いた作品である。原作:安野モヨコ、主演:土屋アンナ、音楽:椎名林檎、などと女性に人気のアーティストを集めに集めたスタッフ&キャストで、監督:蜷川実花の色彩鮮やかな独自の世界を再現している。そうして女性の心をがっちりつかんだ映画は興行収入も上々で、配給会社もホクホクだったらしい。


だが、DVDと今回のテレビを見ていて、男性である僕は疎外感を感じずにはいられなかった。


巷の反応同様「映像はきれいだけど後は意味不明」「椎名林檎のプロモーションビデオじゃん」「土屋アンナまちゃまちゃにそっくりやな!」などと逐一ツッコミを入れながら見てしまっていたが、それらを何度つぶやいたとて、この映画を見ている女性、作った人たちの下には届かないんだろうな、とも思う。彼女たちは、聞く耳を持たないようにしている、というよりもむしろ、ただ聞こえない、のだろう。


その様子は、女の子たちがよくする「お人形さん遊び」や「おままごと」に非常に良く似ている気がした。



保育園児の時、レゴブロックにはまっていた僕は、憧れの飛行機やスポーツカーなどを作っては、それを手に持って友達とはしゃぎまわっていた。「突撃〜!」と叫んでは誰かの遊びを邪魔し、保母さんにまとわりつく。「ひゅーん、どっかーん。」と擬音を発しては、様々なところを爆撃、そうして相手に迷惑をかけては、反撃されてすぐ泣くという日常を過ごしていた。


しかし、何度赴いても爆撃できなかった場所がある。みのりちゃん(仮名)のリカちゃんハウスだ。「どどどどどど。」と叫んでハウス上空を飛び回っても、「びゅーん、びゅーん、びゅーん。」と周りを駆け抜けても、みのりちゃんたちは「さぁ、紅茶の時間ね。」と落ち着き払ってリカちゃんや、パパ、ママをせっせとテーブルに移動させるし、何度「どーん。ばごーん。」と爆弾を落としたとて、みのりちゃんも人形も、顔色一つ変えない。まるでホワイトハウス並みの堅牢さであった。



先週の読書会の後の飲み会で、「女の子はシミュレーションゲームをするのか?しないよね、あんまり。」という話になったが、それが参考になるだろう。確かに、周りで「マリオ」や「ロックマン」、「ドラクエ」「FF」をしていた女子は多いが、「シムシティ」「ザ・コンビニ」「バーガーバーガー」「パイロットウィングス」などの話が通じた女子はほとんどいない気がする。(恋愛シュミレーションゲームは別。)


イマダくんの話を思い返すに、男子は右手と左手両方にフィギュアを持って、神様の視点で物語を想像するが、女子は片手に人形を持って、自分と人形が対話しながら、登場人物の視点で物語を想像する、ということだ。

RPGやアクションと、シミュレーションの違いはおそらくそこだろう。


異論や例外はあるだろうが、これに倣ったように、

僕らは「リカちゃんハウスが爆撃されたらどうなるんだろう」という視点に立って、

「爆弾の応酬に慌てふためく様子」が見たかったし、

みのりちゃんたちは「リカちゃんと一緒にティータイムを楽しみたい」という視点に立って、

「リカちゃんのパパって素敵でいいなぁ」と思いたかったのであろう。


登場人物であるみのりちゃんの視点からは、僕らの作った稚拙な戦闘機なぞ見えも聞こえもしない存在として扱われてしまっていたのである。悲しい。



さてここで、『さくらん』である。この映画が変なのは、著名な女性アーティストたちの人形遊びが絡まりあっているから、なのではないだろうか。

蜷川実花蜷川実花のストーリーでお人形遊びをし、土屋アンナ土屋アンナの、椎名林檎椎名林檎の、という具合に。*1
小学校の壁に標語として貼ってあった「一人ひとりが主人公!」という言葉を思い出すが、皮肉にもまさにその通りの創作活動が、行われているのである。


だから逆に、一つ一つを見れば、すごく絵がキレイで感激するシーンもあれば*2土屋アンナかっちょいい!と思わせてくれるシーンもあるし、椎名林檎のセンスすげー、と思うシーンもあるっちゃある。だがそれらは絡み合わない。香山実花、香山アンナ、香山林檎と、全員が同じ香山リカファミリーになることは絶対にないのだ。


映画を見ながら「こうなったら面白いのに。」と思うスキすらなかった疎外感。保育園時代に作った戦闘機のように、僕はこの映画から無視されていたのだ。切ない。


そういえば、疎外感と同時に言いようのない「子供っぽさ」も感じた。遊郭を描いているにも関わらず、官能的なエロティシズムが伝わってこなかったのは、やはりこの映画が幼少期の遊びに似ているからかもしれない。



同じようにしばしば槍玉に挙げられるのが、女流監督ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット*3だ。派手で絢爛な宮廷生活を描いた「ポップでキュートで色鮮やか」なガーリームービーは、描くテーマこそ違えど、『さくらん』に似ている部分が多くあった。

その似方は評価にも及び、『マリー…』に寄せられた「史実に忠実でない!」や「ストーリー性が感じられない」「最後に処刑されるシーンも、全然シリアスでない。」「女性誌やカタログ雑誌、ショーケースを見ているような映画」などの酷評は、『さくらん』に持っていっても違和感がない。主演のキルスティン・ダンストの叩かれ方は、どこか土屋アンナとかぶる。

そういえば、と考えてみると、ソフィア・コッポラ蜷川実花、二人の監督の経歴までも似ていた。


しかし面白いのは、両映画とも、酷評されながらも「それなりに興行収入がある」ことだ。


男子に言わせれば、「あんなの監督の自己満足のための映画」、「スイーツ(笑)映画」なのにもかかわらず、やはりそれを見る女子はいる。もっと言うと、「スイーツ(笑)」と2chに書き込みながらも、男子もそれら映画を見てしまう、のである。


女子は、もう出来なくなった「人形遊び」をまだ楽しみながら続けているアーティストたちに対して、羨望のまなざしを向けながら、楽しむ。

男子は、幼少期の疎外感を再来させマゾヒスティックに味わいながら、錯誤行為を楽しむのである。



ああ、やっぱり、

「『さくらん』全然面白くなかったね!後悔したね!」とか言いながら、

突っかかって、女子に構って欲しいんじゃないか、自分。


人形遊びに入れてもらえないのを分かっていながら、

いつまでたってもレゴブロックの戦闘機を持って、

女子の周りを回り続ける自分に、

後悔した。


おおはし

*1:そしてそれより重要なのは、映画に携わった彼女らに「人形を買い与えた」誰か(父?)の存在がある、ということだ。

*2:映画のエンディングでスタッフロールとともに蜷川実花の撮影した写真が挿入されていたが、その写真が一番良かったという皮肉。

*3:マリー・アントワネット』は、夫のルイ16世の性的不能っぷりが面白いので、見る価値はある。僕はむしろ好きな部類の映画だ。ただ、強烈に甘いもの、特にケーキが食べたくなるので散在を覚悟すべし。