「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」にご用心


2nd GIG


みなさんは、「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」に、どのような考えをお持ちで、実際に出会われた際どのように対処しようとお考えだろうか。


小腹の空いた深夜、僕は近所のコンビニに行く。別に誇るわけではないが、十中八九そこで食料品コーナーには直行しない。まずは雑誌の立ち読みだ。すると、

「ンウィーン」

戸の開いた音に、反射的に入り口の方を見てしまった。
で、出た。
そこに立っていた人物こそが、何を隠そう「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」、その人である。夜だからスッピンなのはいいとして、大抵はねずみ色のスウェットである。ねずみ色のスウェットを着て、コンビニにやってくるのである。ユニクロか?それともジャスコか?とにかく毛玉がすごい。年季が入っている。何年前から着古しているんだ。ちゃんと洗濯してるのか。ラーメンの汁とかこぼしてないか。
そして、まず間違いなく茶髪である。しかもその茶髪も、根本のほうはもう黒くなり出している。だらしがないぞ!黒なのか茶色なのかはっきりしろ!、と言いたくなるところだが、もちろんそんなこと言えない。目も合わせづらい。なぜなら、見た目に妙に気合いが入っているのも「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」の特徴だからだ。元ヤン臭が漂うが、実際にレディースとしてご活躍されていたか、それとも単にもともと顔面に気合いが入っていらっしゃる方なのか、そこんところは定かではない。斎藤環曰わく、広義のヤンキーが人口の7割である日本国において、そんな区別はもはやむいみなのかもしれない。スッピンだから余計に顔面のすごみが増している。


おおーっと、そうこうしているうちに、そんな「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」がこっちに向かってくるぞ。
もちろん僕にようがあるわけではない、僕と同じ雑誌コーナーにピットインだぁー。さぁ、そこで何をとる?何をとる?と横目で見ていると、で、出たーーーーっ!、viviだぁーーーーっ! (いっとくが、これらは実際に口には出していないぞ)。我ら草食系男子とは無縁の女子たちの愛読書、vivi。四六時中セックスしてそうな女が読む聖書、viviだ。ココリコ田中に実はちょっと似ているMARIEがモデルをしている、その名もviviだ。
次に足下チェック。履き物である。これは僕も攻略済みのクロックスだ。「ファッシャンは足下から」、とまで申し上げる気はさらさらござーませんが、どうもあのクロックスというのは、好きになれん。ゴム製で風通しは良さそうなのだが、町中でゴムの端の方が黒ずんでいるそれを目にすると、「むぎゃーーーー」と胸元を掻きむしりたくなるのは僕だけではないはず。そのゴムの黒ずみが、いっぱいいっぱいその人の足の裏の汚れを吸い取っているのだよ♪と教えてくれているようで、虫唾が走るのだ。
それにしてもページをめくるスピードが速えーな、本当は読んでないんじゃないか。というか、viviってこんな太かったのか。あなたの街のタウンページ並みだぞ。


そうこうしているうちにしばらくすると、
「ンウィーン」
自動ドアが開きまた一人入ってきた。ジャージを着た男。おお、こいつは例の「ジャージ姿で深夜、コンビニにやって来る男」ではないか。こやつもよく見る種だな。
おや?「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」が雑誌から目を上げて、彼に向かってニコッと笑ったぞ。
おやや?そしてその雑誌を置き、「ジャージ姿で深夜、コンビニにやって来る男」の方に向かっていったぞ。
で、で、出たーーー!みなさんにはお伝えするのを忘れていた。この「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」、単体でも破壊力は抜群なのだが、さらに「ジャージ姿で深夜、コンビニにやって来る男」という彼氏と合体をとげることで、完全無欠の完成体へと進化を遂げる。


どういうことかご説明しよう。「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」が単体で現れたとき、そこに象徴されるのは男を萎えさせる「けだるさ」だ。男の目を気にしない、もはや食い気に走っている、だからこそスウェットなんぞでコンビニにのこのこやってこれるのだ。それは「女になる」以前の女。「女を脱いだ」以後の女だ。


だが、そんな「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」特有のけだるさに、エロスを見出す殿方も中にはいるかもしれない。僕とは、住んでいる惑星が1000000000000光年離れていると思われるが、そういう男性の欲望も、同じ男の持つものとして認めよう。
しかしである。
「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」と「ジャージ姿で深夜、コンビニにやって来る男」が、深夜に一緒にコンビニに来る。そのコンビネーションは、そのような僕と「棲んでる惑星が1000000000000光年離れている」男の欲望でさえ、完膚無きまでにぶっ壊す破壊力を備えているのだ。


何よりも生々しいのである。深夜のコンビニをコソコソと徘徊する彼らを見よ。深夜という時間からして「お泊まり」なのは確実。今から二人して帰って一勝負演じます、というのがもはや見え見えではないかっ!あーやだやだ、汚らわしいったらありゃしない。避妊具はそっちの棚だよっ!!お兄様が選んであげましょうか?というかもしかして今は、一勝負“後”かもしれない。これがファスト風土化ってやつですか。
そこには独特の淫靡さとリアリティーがある。しかしそのリアリティーは端から見ていて、気持ちのいいものでは断じてない。それはセックスに対する幻想を打ち砕かんとする、ナマナマしきリアルなのだ。そのナマナマしさにはもはやほのぼのとした幻想を抱く余白がない。
おめぇらは、セックスそのものを蹂躙しているのだっ!


かつてフォークグループ「かぐや姫」が歌った「神田川」には、同棲カップルの日常が歌われていた。そこには学生運動にうち敗れた若者たちの純愛はあったのかもしれないが、「性的な退廃」というニオイはあまりしなかった。しかし、「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」と「ジャージ姿で深夜、コンビニにやって来る男」はどうだろう。はたして歌になるだろうか。なるとすれば、浜崎あゆみかエグザイルあたりに歌ってもらおうか。
男の方のジャージをよく見ると、背中にはでっかく大学の文字が入っているではないか。こいつ大学生じゃねぇかっ!こりゃ意表を突かれた。ということは、「スウェットで深夜、コンビニにやって来る女」の方も学生ということなのか?今やセックスに溺れちまったお前さんたちにも、受験生という清く正しい時代があったんだね。友よ、高校生の頃に土手の上でかわした約束をおぼえてるかい?
ん?お前なんか知らない?んなの知ってるよっ!


ようやく二人が出て行った。ふう、やっと冷静になれるぞと、食い物を探しに行くと、お気に入りのとり五目おにぎりが売り切れ。
むきーーッ!


イマダ