グローバル・ヴィレッジって、だれがいった?

2nd GIG


昨夜、出川哲朗が「アイドリング」なるアイドルの番組に出ていて、「わさび寿司」と「さわってさわってなんでしょねー」(箱の中に穴から手を突っ込んで中に何があるかを当てるゲーム)の、その「やり方」をアイドルたちにレクチャーしていた。「やり方」というのは言うまでもなくリアクションのことであり、どうもがけば面白いか、どう怖がれば愉快なのかを教える講師をやっているのである。そこから遡ることつい先日にも別の番組でも彼は、今度はオードリーに女王様からの「ろうそくプレイ」の「受け方」や、「熱々おでん」の「食べ方」、「熱湯ぶろ」の「入り方」を伝授していた。


わかっている。こういうのは今の始まったことではないし、今日ここに書いたのもたまたま続けざまに出川のそうした姿を見たからに過ぎない。


こういった「リアクション芸を出川哲朗から学ぶ」という企画は、僕自身見慣れたものでありながらもおきまりに「へへ」と笑ってしまうのはたしかで、にもかかわらず同時に、笑いながらもどこかで「不健康さ」を感じてしまうのも確かなのである。「不健康さ」でわかりづらいのであれば「倦怠感」、もうこれ以上には何もないなという「先細り」の感覚を強く覚えてしまうのも確かなのである。


「リアクション芸」という言葉と営みには、一つの転倒がある。ある行為=アクションから自然発生的に生まれる反応=リアクションこそが、であるからこそが面白いにもか関わらず、カメラにどう撮られ、どうのようなコメントを刷ればいいのか、その全てが計算ではないにしろ、計算が多分に含まれているということは、もはやテレビに映ってる側、だけでなくそれを視ている側にとっても自明の殊なのである。


ここ数年、24時間テレビの深夜の時間帯ではかの往年の「スーパージョッキー」の名物企画(我が家の日曜昼の12時はいつもこの番組だった)、「熱湯コマーシャル」が行われる。そこではかつてのようにダチョウ倶楽部が熱湯兄弟として活躍するのだけれど、興味深いのはそこでは彼らを、他の彼らより若輩のタレントたちが、長年憧れた伝統芸能を視るかのように眼を輝かしてみているということである。


それはまるで、年に一度の縁日の中央で、毎年のごとく大太鼓を叩くおじちゃんを見上げる少年少女たちのそれである。しかもそれは、テレビの中だけでない。おそらくあの時間までわざわざ起きてあのチャンネルを視ている輩なぞ(僕も含めて)、おそらくは彼らの例年通りのその「儀礼」を待ちわび、そしてそれにがははと笑うのだ。


冒頭で記した出川のその受容のされ方と、ダチョウのそれには、そのような共通点があり、ここにこそ近代からポストモダン、そしてその次への具体的な未来図がおぼろげながらもあると思うのだ。


2001年の『動物化するポストモダン』以来、大きな物語の失墜だデータベースだと、日本ではさまざまな議論がドメスティックに展開しているけれど、ふりだしに立ち返ってみて、「じゃあ近代とポストモダンってどうちがうの?」と問われれば、なかなか答えにくいのもこれ事実。そんな問いに、稲葉振一郎『モダンのクールダウン』は、興味深い交通整理をしてくれている。

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

「近代」というもの派語源からしても新しい何かであり、伝統への反逆を意味するわけですが、「モダニズム」にとっては「近代主義者」的「近代」はすでにしていま一つの伝統、というか反逆すべき新たな正義となってしまっているわけです。
『モダンのクールダウン』p9

ニーチェをその象徴とするモダニズムの旗手たちは、大衆化した「近代社会」そのものへの批判者であり、いわばエリート主義なのだ。この時点で近代主義モダニズム、和訳すればイコールになるはずの二つの言葉に乖離があるのだが、ではその先に来る「ポストモダン」とは一体何なのか?

「歴史は繰り返す、ただし一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」とマルクスが引き合いにしたヘーゲルのセリフにありますが、ニーチェモダニストたちが演じた悲劇の二番煎じがポストモダニズムである。意地悪く言えばそうなります。ニーチェやホセ・オルテガ・イ・ガセットの口まねの近代批判、大衆批判がそれ自体知的ファッションとして大衆化し、大衆が大衆を(自己批判という痛烈な自覚なしに)批判して楽しむというお笑い沙汰、それがポストモダニズムだ、と。
同上16p


ここで近代およびモダニズムと、ポストモダニズムの関係図がおおよそわかってくる。
テレビでこの関係を例えるならば、近代人とはいわば昔の視聴者である。彼らは僕らよりももっと上の世代、それ以上でもそれ以下でもなくテレビを「テレビ」として享受していた世代だ。大晦日は何の疑いもなく紅白歌合戦が当たり前。吉本新喜劇のお約束のギャグにももれなく笑う。大衆らしい大衆として彼らは振る舞うのだ。それに対して孤高のモダニストとしての視聴者とはすなわち「ナンシー関」のことだ。松本人志も称賛したその独特の角度から繰り出され、対象を的確に獲られた「テレビ批評」は、スリリングであり、何よりもかっこよかった。


そして我々ポストモダンのテレビウォッチャーは、まさに「彼女以後」に属している。彼女に憧れ、彼女の批評眼をほしいと強く願った、「批評性」のある世代なのだ。


ポストモダニストであるテレビウォッチャーたちは、もちろん「視聴率」にも敏感だ。だれそれのあんなつまらない番組があんな視聴率だ、やはりあの番組は面白いから視聴率が高いだ、某掲示板でも日夜盛んに論ぜられている。だが言わずもがなだが、視聴率という数値を形成するのは彼ら自身であり、すなわち「大衆」なのである。「大衆が大衆を(自己批判という痛烈な自覚なしに)批判して楽しむ」ということの、これは格好の事例ではないだろうか。


では、そのポストモダンの次に来る「ポスト・ポストモダン」とは、いったいどんな世界なのだろうか。

僕はもしかすると、周期的な時の移ろい以外何も変わらない前近代あるいは中世のようになるのではないか、と最近思う。その具体的な像こそが、冒頭で挙げた出川哲朗ダチョウ倶楽部、近年における両者の受容のされ方、お笑いを一種の伝統として披露するそれなのだ。


最近「バカと暇人のもの」だと密かに囁かれているネット上だって、「ムラ」が展開している。
例えば、先月繰り広げられた一連ののりピーの一件、押尾学の一件を見よ。事件発覚後、当然のごとくネット上では盛んに両事件の「ネタ化」が繰り広げられ、ある人はAAを作り、ある人はボーカロイドで替え歌をこしらえる。ネタそのものが新しい分、もちろん内容には新鮮みがある。しかし、大枠で捉えた全体像は、かつて数多の有名人がなんらかの不祥事を起こしメディアで取り沙汰された時のプロセスと、何ら変わらないのではない。「以下同文」ではないだろうか。
「祭り」というネットスラングは、不定期ながらもこのムラで起こる祭事を指し示している点で、奇しくも的を得てしまっている。



かつて「芸術は終わった」「映画は終わった」などと、あらゆる芸術に終わりが告げられた。それに対して、「でも映画館にまだ人、入ってますよ」とおバカな返しする後輩がいたが、そういうことではなく、斬新かつ前衛的で「何か次があるかも」「新しい世界を見せてくれるかも」と見る者を期待と興奮の渦に巻き込んだものとして、それらの多くは「終わり」を告げられたのである。


もしかすると「ネットも終わった」のかもしれない、そのような倦怠感と息苦しさに、先日「白いクスリ」という替え歌の存在を後輩から教えてもらい実際に視聴した際に、僕は襲われた。


そんな文章を今ネットに書いてはいるのだけれど。。


イマダ

マツコ・デラックスを巡る冒険 漂流2日目


今週号のAERAマツコ・デラックスのインタビューがあったので買ってしまった。


初めて見たのはTBS「ピンポン!」のコメンテーター。その巨漢に衝撃を受け、「デラックス」という名のハマリ具合にまた衝撃を受ける。そして、言ってることがめちゃめちゃマトモで、さらに驚いた。


それ以降、コメントを見ても聞いても痛快で、これはナンシー関の再来か、と思った。「TBSは赤坂サカスなんて不動産業やってんじゃないわよ。そんなことで儲けてたら、面白い番組作る意欲が湧いてこないじゃない。」みたいに、コメントがいちいち的を射ていて、こりゃーすごい人が出てきたな、と感じたのをよく覚えている。





記事は、マツコがその絶大な批評性を獲得するまでの半生を追う、興味深い内容だった。

「子供のころからデブとか、ゲイとか、数々の負の要素を抱えて、葛藤を続けていたはずで、その業の深さが私と通じていたんです。自分探しって『神』を探すことに似て不毛な作業。その不毛に、マツコは女装というパロディで挑んでいる」(p57)


・現代の肖像「マツコ・デラックス」(『AERA』09年8月31日号)


と、作家の中村うさぎ。彼女がマツコの批評性を見出したのだそうだが、そうした「生き辛さ」を噛み締めてきた人たちの言葉は、今の時代に必要とされるし、よーくフィットする。
いいインタビューだった。AERAグッジョブと言わざるを得ない。





しかし、その中で、一箇所引っかかる点があった。

「急ぎすぎたかな、と思う。でも、もどかしかったのよ。90年代にゲイがゲイとして解放されたのはよかったんだけど、雑誌でも何でも、自由の謳歌だけがフューチャーされて、ワンセットであるべき責任への言及がなかった。そこを表現できなければ、ゲイだって次の段階に行けないのに」(p56)


この中の「解放」という言葉だ。実体を上手く表せるのは「開放」という表現ではないだろうか、そんな違和感に襲われる。
言葉の意味はそれほど重要でない文脈にも見えるが、敢えて辞書に立ち返って見てみる。


解放:束縛や制限を取り除いて自由にすること。


開放:?窓や戸をあけはなつこと。?禁止したり制限したりせずに、だれでも自由に出入りするのを許すこと。


とある。


解放っていうと、「奴隷を解放しました!」「力を解放しろ!」みたいに、ある種の苦行を伴うイメージがある。する方も、される方も。
逆に開放は、「開放的な気分!」に代表されるように、割とのん気なイメージを持つ人が多いだろう。


自分の引っかかりは、(ゲイなどの)文化が安易に「解放」されることがあったのか、という違和感だったのではないか、と思う。



もっとも、インタビューをテープから起こしているので、マツコがどちらの「かいほう」を意識していたかは分からない(意識なんてしてないかもしれない)。
しかし、僕にはマツコが「開放」の方を想定して喋っていると考えるほうが自然に思えた。そしてそれを「解放」と書いてしまうライターの病もなんとなく理解できる。ここに、「消費」をめぐるAERA側とマツコ側の大きな対立が見て取れるのではないかと思う。





インタビューを行い文章を書いたのはライターの清野由美氏。プロフィールに「ジャーナリスト。出版社勤務を経て91年からフリー。時代の感覚を追って、人物インタビューから都市現象まで幅広く取材する。著書に『新・都市論』(隈研吾と共著・集英社新書)。」とある。そうした「消費」の最先端を様々に見聞きしながら生きていく中で、氏の中の「かいほう」が持つイメージは、「消費を介して対象を救う」というある種の使命感を帯びたものになっていったのではないだろうか。


もっと言うとそれは、「私が取り上げてあげることで、対象に注目が集まる。するとお金も集まるようになって、その人たちは豊かになり、救われる。」という価値観だ。そしてそれは、マスコミという巨大権力が持ついわゆる「おごり」として、批判を繰り返されてきた。


そうした「救ってやってる」という態度に対しては、一線で活躍するジャーナリストが自覚的自律的でないはずがない。


しかししかし、揚げ足を取るようなツッコミかもしれないが、この「解放」には、無意識に出た微量の「おごり」が、感じられてしまうのである。





対して、マツコの言葉が痛快なのは、「自分が消費されるものである」という自覚(つまりメタ目線)を持ちながら、同じ外部にいるマスコミを批判するという、ある種の内部告発のような視線をはらんでいるところだ。


「解放」は、ただ開け放って消費するだけの「開放」ではなかったか。


「アタシ、女性誌というのも大嫌いなのよ。女の味方の振りをしながら、バリバリの男尊女卑を垂れ流していて、ものすごく傲慢。この間、友人と一緒に受けたアラサーの恋愛相談の仮タイトルって、何だったと思う? 真面目に答えたんだけど、『愉快な女装たち』ってくくられて。ふざけるな、ってことよ。そう、アタシたちへの注目って、消費の一環なのよ。でも、それで結構。だって、消費されなければ、アタシみたいな存在は食べていけないもの。」(p55)

「救って」いるようで、実はそれは消費しているだけである、そんな「強者」への強烈な批判と諦めが、ここにきれいに現れている。消費されることでしか食べていけない人間にとって、道化を演じるのは生きる術だ。90年代のゲイが、結局は「消費されるもの」にしかなれなかったという挫折が、マツコのそうした発言を引き出しているんだと思う。


「ワンセットであるべき責任への言及がなかった」と反省するのが彼の潔さだとも思うが、やはり90年代に行われたのはマスコミによる「解放」ではなくて、消費のための「開放」だったと思うのである。





として、そろそろ落ち着いてきた「ボーイズラブ」を巡る特集や言説を見ると、腐女子と呼ばれる人たちは実に上手く、マスコミの「解放戦線」から逃れたように思う。


注目されること、消費されることの快感に安易に踊らされず、むしろ頑なに口を閉ざすように「私はこれが好きなだけなんで…」と舞い上がらない(一部舞い上がった人はいるようだが)。
そもそも腐女子の定義が曖昧だったこともあって、マスコミも結局誰を「解放」していいやら分からなかったのが正直なところだろう。


「解放/開放」という二重のメガネで様々なものを見てきたマスコミは、「生き方の解放/開放」から「趣味の解放/開放」へと向かっているように思えるが、これはまた別の機会に考えたい。





そしてもし、この先に雑誌やテレビ、その他メディアが行うべき「かいほう」は、僕はなんとなく「介抱」になるんじゃないの、と思う。


解放ほど大げさでなく、開放ほど無責任でもない、
かつ、決して馴れ合いの礼賛でもない本気のヘルパー、介抱、
そんな役割を担うべきなんじゃなかろうか。


そんなダジャレ的なオチでも、
後悔しない!




おおはし

触発されて応答してしまいました

2nd GIG


ウサイン・ボルト世界新のタイムでゴールラインをまたいだとき、僕はそれを弟と視ていたのですが、真横から走者を追うアングルのカメラを指しての彼の「このカメラマンが走った方が早いんじゃね?」という発言にやられてしまいました、どうもイマダです。手前味噌ですがなかなかの逸材です、弟。


このタイミングでなぜ<マルチ>論なのか、ということは個人的興味をそそられるのだけれどそれはいいとして、おおはしくんが先週書いてくれた。

「マルチでいちばん偉い顔のできるやつは、何もやってないやつである」



そんな論が、確かイマダくん周りの議論で生まれたと記憶している。これは確かに正しいと思う。

もし「マルチメディア文化課程 天下一武道会」なるものが開催され、映画を撮ってる人、演劇をやってる人、横国プロレス、文章道場の人、426、Re:Design、アクティカ、そしてなーんにもやってないやつ、全員が一同に介して勝ち抜きバトルをしたとき、「なーんにもやってないやつ」が優勝者になる姿は容易に想像できる。なぜなら、マルチで一番えらいのは、一番客観的な視点を持っているやつだから、だ。



なーんにもやってないやつは、あらゆることを疑える。映画撮ってる人に対しては、「それって結局、深夜ドラマと同じことやってるんじゃないの?」「それって結局、クドカンのやってることの二番煎じなんじゃないの?」…。

疑われたほうは、「分かってたけど、どこか目をつぶっていたかもしれない」という負い目を感じ、「そう…ですねぇ」と言わざるを得ない。


後悔日誌8/26


それにしても<マルチ>周りにはこんだけトライブがあったんだね(文章道場ってなんだ?)。発言を引用された者として応答すると、おおはしくんの論は大筋では僕の考えとたがわないのだけれど、細部の微妙なニュアンスでちょっと違う(追記:違っていないかもしれない。少なくとも当時はそう言っていた記憶がぶり返してきた。変わったのは「今にして思えば実はこうだったかな?」という僕の側の認識の変化によるズレに近い)。


おおはしくんは「なーんにもやってないやつ」を「客観的な視点を持」つことや、「疑える」というような能動性で捉えているのだけれど、そういうやつはおそらく<マルチ>の中の、さらに「なーんにもやってないやつ」のなかでもごくごく一部の輩であって、「なーんにもやってないやつ」の大多数はすなわち「よく分からんけどなんとなくそんな感じになったやつ」と同義で、つまり消極的、結果的にそうなったわけなのである。


「客観的な視点」というのに立って自分と考えを異とするトライブのやっていることに「疑」義を唱えるというような、いわば「批判精神」とも言えるようなものをもっているのは、ほとんど居なかったのではないか。大学の中でそんなことしている暇があったらバイトして金貯めるとか、彼女作ってセックス三昧とか、そのほうがよっぽど有意味だ。大学は単位を獲るだけにとどめておくのが最も「功利的」なのだ。


僕のように4年間、学校に行くたびに童貞であることをバレないように「なーにもやってないやつ」の仮面を被り、各トライブに積極的にコミットして楽しげに非「不純異性交遊」に興じていた同級たちに対して、「女の子たちと活動していて羨ましいなぁ」という憧れと、「ちんちん腐って死んでしまえっ!」という憎しみのアンビバレントを抱きながら、理不尽な批判を繰り返していた者とは、彼らははっきり言って別種なのだ。


にもかかわらず――というよりもだからこそなのか――そういう「結果的になーんにもやっていないやつ」というのはおそらく、<マルチ>というもののもつ「変なところだけれど一応1.5流国立」という利点を活用することで、なんだかんだいって1.5流の企業に就職して1.5流の給料をもらい、職場で見つけた1.5流の彼氏との1.5流の恋愛の末、1.8流の結婚をするのである。そして1.5流のマイホームで生んだ4.5流の子どもを育て上げるのだ。人生の終末、きっとその人は縁側で8.2流にまで落ちた夫と「大学時代はよかった〜」とお茶すすりながら1流の思ひ出として<マルチ>を振り返るのだ。
へいへい幸せなこったねッ!!


そう、ここにおいて彼ら「結果的になーんにもやっていないやつ」と我々は決定的にその立場を断絶する。<マルチ>に来てしまったことが「症候」となるか、セピア色の「思ひ出」となるか。


ただ、「するも選択、せざるも選択」(@宮台真司)の再帰的近代を僕らが生きているのだとしたら、<マルチ>で単位取得以外演劇も映画もマンガも音楽もセックスも就職もしなかった僕であっても、何も「しなかった」という決定をくだしているわけで、その意味で僕は彼らと大して変わらないのである。童貞を捨てるも捨てないも、すでにどちらとも選択だ。僕の周辺ではもはや常識となりつつあるが、30才までに童貞を捨てなければ一生童貞orNotは五分五分である。とすると、「捨てない」という当人にとっては単なる結論の先延ばしも結果、一生童貞という重大な決定とつながっていることとなる。


そう考えると、問題の重心は各人の選択の「正しさ」に移行するのだけれど、考えてみればわかるが「正しさ」だって多元的だし相対的だ。しかしそうはいうものの、あったり前のことではあるが正社員になる「正しさ」の方が依然、よっぽど正しいのだ。就職できなかった僕の「正しさ」はその点で決定的に就職したやつの「正しさ」や演劇や映画にコミットしたヤツらの「正しさ」に負けている。


ただ横暴な僕がそれで黙っていられるわけがなくて、周りのすでに社会人としていっぱしにサラリーマンしている友だちたちのくたびれた顔や、年がら年中盲目的に演劇やら映画やら“だけ”を信仰している輩の姿を横目で見るにつけて、お前らのが「正しい」わけねーよ、と叫ばざるを得ないわけである。

それが今のところの僕の決定。


イマダ

マルチメディア文化課程の根の深ーい問題 漂流1日目



「マルチメディア文化課程にいて困ることは…?
何を勉強してるか親に説明するのに苦労するところかなー。」


マルチメディア文化課程に所属していて、こういう会話をしたり聞いたりしたことはよくあると思う。いわゆる「マルチあるある」だ。
自分も他人に聞かれたり親に対して説明するときにいつも困った。メディア論、比較文化論、文学論、どう答えても自分が嘘をついているようで、しっくり来なかったのを覚えている。だから、「映画監督になる人とかいるよ」「演劇やってる人がいるよ」などとマルチ全体の属性を答えてその場をやり過ごし、後に「結局自分は何をやってるんだ?」という問いに苛まれたこともあった。いや、あまりなかった。



そこには、「人に説明できないような微妙な学問をしていることの負い目」、「役に立たないことを勉強している自分かっこいい!(国立なのに!しびれる!)」「私がしている学問は、選ばれし者しかできない高尚なものなのだ。その神託を私は受けた!(これはないか)」といったような、学問をする自分への自己言及的な視点が存在していた。


そうした「私はなぜ学ぶのか」といった意味自体を問うことは、いつの時代のどんな学生にも普遍的に存在していたと思う。しかし、マルチメディア文化課程の問題は、そうした問いについて考えることが「学ぶ対象」よりも優先されてしまいやすいところにある。





マルチメディア文化課程はその入試から、「当たり前のことを疑え」という価値観に従えるかどうかを試される。総合問題と称して、いわゆる受験勉強では全く対策のしようがない(かといって激烈に難しいわけでもない普通の)試験を課すのだが、そこで一番重要なのは「この問題にはちゃんとした答えがない」ということに気づくことだ。


たとえば1999年の問題。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見せて、「この絵を見て気づいたことを書きなさい」と問う。


そこで、
・「この絵は14XX年に描かれた…」
・「キリスト教の○○をモチーフに…」
と答えると不合格で、


・「部屋の外が明るいのに、なんで晩餐なの?」
・「なんでみんな一直線に並んでテーブルに座ってるの?」
と答えると合格だ。


その試験で試されるのは、「受験勉強で培った知識以外が問われることもある」という現実に対して対応できるか、受験戦争が持つ価値観の外部から答えを出す力があるか、ということである。





そして入学してからは、メディア基礎論という授業で新入生が「大学」に対して持つイメージを壊しにかかる。壇上に先生が立って、黒板やスクリーンを使って授業をする、といった「ザ・大学」の講義形式を馬鹿にしたように、マルチの教授3名は教室前方の椅子に足を組んで座って、ただ雑談をする。
「大学の授業はつまらないものである」という価値観にすら逆行するかのように、なぜか授業は「面白い」。ちょっと贔屓しすぎか。


しかしその割には、麻雀は絶対やるな、サークルなんて入るな、バイトより他にやることがあるだろ、と、近代主義者のような厳格さを見せたりもする。大学ってのは自由なとこなのか、違うのか、学生は混乱する。でもそれが心地よくもある。


その授業には、「そうはいっても、お前らどうせサークルとか入るんだろうけどな」といった含みもあるし、別にサークルに入ったからといって教授に呼び出されて怒られたり卒業できなくなったりすることもない。(そうやって超自我を押し付けるところがポストモダンっぽい。)
それよりも、重要なのは、「大学生になったらサークル入るよねー」という価値観を「あれ?」と疑わせることだ。


マルチが取り扱う学問や、教授の話の内容はもとより、前述したような入試や授業などのやり方を通して、「あらゆるものは疑うことが可能で、それを認識した上で自分の価値観や考えを構築できるようになれ」と、マルチメディア文化課程は生徒に使命を課す。
そして、文理の壁を越えてマルチに才能を発揮する優秀な人材が育つことが、最終目標だ(と思う)。





それを(かなり強引にではあるが)簡単な言葉に置き換えると、「あらゆることに客観的になれ」ということだろう。しかし、マルチの教授陣が考える客観性と、入学してくる学生の考える客観性の間に、大きな隔たりがあることが、最初に書いたようなマルチメディア文化課程の持つ問題を大きなものにしている要因ではないかと思う。


「マルチでいちばん偉い顔のできるやつは、何もやってないやつである」


そんな論が、確かイマダくん周りの議論で生まれたと記憶している。これは確かに正しいと思う。
もし「マルチメディア文化課程 天下一武道会」なるものが開催され、映画を撮ってる人、演劇をやってる人、横国プロレス、文章道場の人、426、Re:Design、アクティカ、そしてなーんにもやってないやつ、全員が一同に介して勝ち抜きバトルをしたとき、「なーんにもやってないやつ」が優勝者になる姿は容易に想像できる。なぜなら、マルチで一番えらいのは、一番客観的な視点を持っているやつだから、だ。


なーんにもやってないやつは、あらゆることを疑える。映画撮ってる人に対しては、「それって結局、深夜ドラマと同じことやってるんじゃないの?」「それって結局、クドカンのやってることの二番煎じなんじゃないの?」…。
疑われたほうは、「分かってたけど、どこか目をつぶっていたかもしれない」という負い目を感じ、「そう…ですねぇ」と言わざるを得ない。


そのロジックは「客観的であること」が至上の価値観であるマルチに置いて絶対に負けない。


「あらゆることを疑え」と命令されてきた体には、それがたとえ評価に値するようなチャレンジングな行為であっても、どこかに目をつぶっている点で、「サークルに入ることと変わらないんじゃないか」という自己懐疑の念を生み出す。対象よりも、その対象に臨む自分の姿勢ばかりへと、考えが及んでしまう。「それでも俺はやっていくんだ」と思っていても、ある日ふと「なーんにもやってない人」に出会ったとき、まるで罪を懺悔するかのように気を病んでしまうのである。





マルチの構成員の多くが、「何を勉強しているか、人に説明するのがおっくう」という状況におかれているのは、そうしたエセ客観性が支配的だからだと思う。


本来客観性は、文学なら文学、デザインならデザイン、などと一つの領域を深めた(極めた)人がはじめて、別の領域に対して持てる視点だったはずである。映画論に対して、「それは文学でいうところの○○ですね。」と言うように、


「客」であるためには、互いに「家」すなわちホームが必要なはずだった。文学でも社会学でもなんでもいい。しかし、今マルチに溢れているのはホームレスばかりだ。


文理の壁を越えて様々な事象を複合的に対象とし、「マルチな才能」を発揮する人間を育てようとした結果、何の対象も持たない自意識が肥大した人間を生み出すことになった。





でも、こんな「本来客観性は…」なんてことを問うて、近代を復興しようとすること自体、「最近の若いもんは…」という陳腐な若者論と変わらない気もする。「なーんにもやってないやつ」に対して、「なんかやれ!」と言っても仕方がないし、もしかしたらそいつは「なーんにもしない」ということを努力してやっているのかもしれない。


こんな風に、問題の根の深さばかりが際立って見えてしまう。解決策がない。
でも、考えるのは楽しい、という、麻薬のような絶望感がポストモダン論にはある。
こうした矛盾を抱えながら、これから先も日々を過ごしていかなければならない。


マルチメディア文化課程という超自我は、これからもずっと付きまとい続ける。
でも、もう後悔なんてしない。




おおはし

新たな企画



moso magazine編集局長からのお願いです。
僕に「お題」をください。


moso magazineは創刊以来1年半あまり、狂ったようにばんばん更新したかと思えば、誰も何も言わないのをいいことに2ヶ月以上サボったりなんかして、なんやかやでもうかれこれ50回を超えたわけですが、ここで新たな試みをしてみたいと思います。


もう一度書きます。
僕にぜひ、「お題」をください。


これからしばらく、みなさんからいただいた「お題」をもとに、1000字〜2000字のコラムを執筆したいと思います。
名付けて、「めざせイマダ、文章自販機プロジェクト」です。みなさんにはご存じない方が多いと思いますが実は僕、コインを入れたら下の口からペラっと文章が書かれた紙が出てくる自販機のような存在、目指しているんです(後で読み直すと「下の口」がものすごく卑猥な表現に読めますが多義はなし)。今回はその自販機の「試運転」も兼ねて、行いたいと思います。


お題は、世相を賑わす政治から身の回りの出来事、読んだ本、思いついた単語、基本的に何でもかまいません。


あとそうそう、悩み相談でもいいですよ。僕があなたのお悩みにお答えしましょう。


お題は下のコメント欄に書き込んでください。↓
多数書き込みがあった場合は、その中から僕のアンテナにビビッと来たものを勝手に選ばせていただきます。


それではよろしく。


イマダ

ラブ・イン・エレベーター

2nd GIG


マイケル・ジャクソンの件についてもしかり、最近「アメリカのこと」となればなんでもかんでもすぐデーブ・スペクターにお伺いを立ててしまう日本のマスメディアの脆弱さに危機感を抱いている、どうもイマダです。
もうわかってます、これほどまでこの連載の感覚を空けてしまったことへのあなたの怒りは。ラカン本は手に入りましたので、いずれまた連載を再開したいと思います。失礼しました。


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さて、今日は中島らもについて。実は僕はこの作家をかっていて、もっと評価されてもいいのではないかなぁと、読んでいるとふつふつと思うわけだ。もちろんもうすでに一定の評価はされているのは当然で、長編では吉川英治賞受賞作もある。しかし一般的にこの人は演劇の人とか、コピーライターの人とか、あるいは単なる変な人というような評価しか受けていなくて、ナンセンスなのかリアリズムなのか判別しがたいその小説世界というのを知っている人は、実は少ないのではないかとさえ、僕は思っている。


中島らもって、実はすげー小説家でもあるんだぞ。


そのことを知らしめることなく、彼は転倒事故で急逝してしまったのだけれど、今月は彼の命日のある7月だ。そういうことで、前から書きたかった中島らもについて。
中島らもには『白いメリーさん』という短編集がある。その中の僕のお気に入り「ラブ・イン・エレベーター」について、今日は書きたい。

白いメリーさん

白いメリーさん

このエレベーターに僕が乗ったのがいつのことだったか、もうわからなくなってしまった。何週間か、何ヶ月か、ちょっとするともう何年も前のことなのかもしれない。とにかく、ずいぶん長い間こうして彼女といっしょに箱の中で過ごしていることは確かだ。(261p)


小説は唐突にこう始まる。「ビデオ制作の仕事をしている僕は」、「軽いロケハンのつもりで」休日に超高層七十二階建てのビルに訪れ、地階から昇ってきたエレベーターに乗った。中には休日出勤なのだろうかOLがもうすでに乗っていて、彼女が「屋上直通ですよ」と聞いたのに対して「僕」がうなずいたのに始まりに、それからエレベーターがずっと、止まることなく上昇し続けてしまうのである。

何時間経っても屋上に着かない、そして開きもしないエレベーターの中、ふたりはようやく異変に気づく。

恐怖に泣き喚くその彼女を尻目に、「僕」はあらゆる脱出への努力をつくすが、すべてが無に帰す。次にふたりは、この事態についてあれこれ議論する。「どこか違う次元のところにいってしまったのではないか」「トンネルの最上階と一番下の階が何らかの歪みでつながってしまったのではないか」あるいは、「何者かのシミュレーションで、僕たちはその中でてすとされているのではないか」「これは幻影ではないか」等々。ふたりはありとあらゆる可能性を考えたが、「答えは出しようがなかった」。なぜなら、たとえふたりが探り当てた答えがこの事態の真相だったにしろ、現にエレベーターは上昇し続けているのだから。
そして転機が訪れる。

そんな中で、僕たちにやってきたのは深い諦めの感情だった。底が見えないような諦めの感情の中で、やがて僕は彼女を愛し始めた。少しずつ、少しずつ。発狂せずにいるためには、そうするより他になかったのだ。


『上昇』が始まって四日目か五日目に、僕たちは最初のセックスをした。


ここにこそ、ショートショートと分類できるだろうこの小説が、星新一でも小松左京でもなく、紛れもなく中島らものそれであることの証明みたいなものがある。閉じ込められたエレベーターの中、男と女ならばまずは一発ヤルでしょうというまるでAVの世界のような短絡的でナンセンスな展開に見えるのだけれど、考えてみればエレベーターとは、わずか1メートル四方の「個室」である。細かい人物設定は短編ゆえに省かれているけれど―いや、お互いの素性を知らない匿名的な男女だったからこそ―成人した比較的若い部類に思える大人の二人が、このように4日も5日も閉じ込められていたら「もしかするとそういうことになるのかもしれない」という、不思議なリアリティーがそこにはある。

セックスをしていない時間には、僕たちはお互いのことについてしゃべり合った。最初のうちは堰を切ったように自分のことをしゃべった。どこで生まれ、どう育って、何をして生きてきたのか。何が好きで何が嫌いか。・・・


ふたりはとにかくしゃべり合う。しかしこの展開に、どこか「既視感」のようなものを感じはしないだろうか。実はこの物語は、「半永久的に上昇し続けるエレベーターという特異な空間において男女の営み」なんかではなく、ごく一般的なカップルについて書かれているのである。
閉じた共同体の中の男と女は、たとえどんなにその関係の偶発性がぬぐえなくとも、吸い寄せられるように恋仲になっていく。それこそが世に言う恋愛、といううやつだ。学校のクラスだろうと、大学のゼミだろうとサークルだろうと、就職した職場であろうと、男と女は所詮動物なのであり、同じ檻の中に偶然に囲い込まれた同種の異性を、即物的に求めあう。この短編が描いているのはSF的な特異空間や異次元空間なのかもしれないけれど、それを通してて描かれるのは「ある恋愛の一形態」と読み取るべきではないか。


そして、「恋愛を一言で言えば?」という問いに答えるとすればそれは、この小説が描くように絶えず自分のことについてしゃべり合い、「しゃべっていないときは眠るかセックスしているか」、その無限反復に過ぎないのかもしれない(もっともそんな恋愛を無価値だと切って捨てるか、あるいはそれでも価値を見出すのかは、また別の位相の問題だ)。


だが、そんなエレベータ内の恋愛にも、ご多分に漏れず「終焉」が待っている。

しかし、そのうちに僕はあることに気づいて、今度こそ骨の内側まで凍り付くような恐怖に襲われた。つまり、僕は彼女に「飽き始めて」いたのだ。


永遠に閉じ込められてしまうかもしれないというこの開かずのエレベーターの恐怖よりも、なぜこの「彼女に『飽き始めて』いた」という事実が、「僕」を恐怖させるのか。ここでこの小説におけるエレベーターという存在の意味が結実する。無限に上昇するエレベーターとは、まさに恋愛という「制度」であり、当人たちの間ではすでに「終わった」恋愛ですら、恋愛の形をしたまま惰性に続いていくのかもしれない、「僕」はその可能性を恐怖するのだ。その事実を、この小説は端的に言い表している。

彼女は平凡な女だった。彼女が話せば話すほど、彼女のすべてをおおっていた凡庸さがあらわになっていった。(…)彼女が話せば話すほど、僕がこの女愛する理由が失われて行くような気がするのだ。
それでも僕たちは憑かれたようにしゃべり続けていた。僕たちの間にかつて確かにあった愛と、それが壊れていくプロセスにつて今で語り合った。しゃべり終わることへの恐怖につき動かされて、僕たちはただただ狂ったようにしゃべり合った。


惰性で続く恋愛は、惰性であるけれども惰性になりに「上昇」し続ける、無限の会話によって。その会話ですら途切れたとき、この短編は終わりを告げるのだけれど、そのあまりに月並みな「オチ」の部分には触れないでおきたい。それよりもこの短編小説は、短いながらそのオチにたどり着くまでのプロセスにおいて、恋愛とはなんぞやという問いへの、中島らも風味のあまりにも冷徹な解が凝縮されているように思えて、僕はこの中島らもという「小説家」のすごさを感じずにはいられないのだ。



イマダ